1999年12月25日
メリークリスマス!
神様!めまいがしそうです。
視覚の事を考えたらめまいがしそうです。
このしもべは自分の脳の中に光が電気に成って入って行ってどうなっているのかしら!
そうして、そこで今見ている景色がどうして作られている!のかしら、と考えるとめまいがしそうです。
もう、ここは哲学!でなければ解けそうもありません。
『組み立てているのだよ!』とおっしゃられている!事はわかりますが、どのように組み立てられているのかさっぱりわかりません。
細胞の図のカチカチ!
それも場所はちがう!のでしょ。
そうすると、このしもべの手!を見る時も、カチカチ言って組み立てている!のでしょ。
そして、中央の左右に分かれてしまった図も組み立てられている!のでしょ。
交流できない溝がある!のでしょ。
ますますわからなくなってしまいます。
どうして、よりによってこんな溝のある所に視覚を司るメカ達を置かれた!のかしら。
このしもべはその溝をうめてしまいたい!と考えてしまいます。
だって、この公園の景色には、分かれ目がない!のですもの、割れ目がない!のですもの。
どうしてつなぎ合わせた!のかしら!と思ってしまいます。
神様!あなた様は溝!を御利用!なさった!のですか!
御利用!なさった!とは、そこに“ある”ものを、ただ使わせていただいた!という事です。
ですから、本当はお創りになられた!という事です。
あえて、お創りになられた!という事ですね!
溝のスクリーン!ですか!
壁のスクリーン!ですか!
そのスクリーンにわざわざ投影!している!のですね。
光の刺激をそのスクリーンに投影!している!のですね。
そうすると、ピカピカ反射して、そのスクリーンは輝く!のですね。
一瞬ずつ、その輝きはちがう!のですね。
何々!
網膜の両端がスクリーンの手前!の方に映っている!のですね。
神様!やはりあなた様!はすばらしい叡知でお創りになられた!のですね。
そのように思わずにはいられません。
まだ、理解していない!のですが、結果が完璧であるので!見える景色が完璧!であるので、それを創られた方法もすばらしい!完璧であるはずである!と思っています。
視放線を見ています。
溝のスクリーンに放映するためにお創りになられた!のですね。
よくわかります。
神様!このしもべは、視放線!を「ホサナ!」「ナンテスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」と賛美申し上げます。
神の創られた映像を創るための線!である!と、よくわかります。
溝!も。
あえて、わざわざお創りになられた!のですね。
スクリーン!と成るように!
神様!このしもべは脳の溝を“神が創られたスクリーンの溝!”と名付けます。
誤っていたらゴメンナサイ!
だって、放映線!である視放線!が、それを物語っている!のですもの!
しょうがありません。
このしもべは、日本百科全書の視覚!という図を見て申し上げている!のです。
だれでもわかります。
「あっこれはスクリーン!だ!」と、叫びます。
わざわざまっすぐな壁!をご用意された!のですね。
カーブされた面!ではなく、まっすぐな壁!をご用意された!のですね。
約百万本!もの神経細胞をお創りになられて、正確な像を得るために設計!された。
あなた様は、正確な像を結ばせるための受容体!をもスクリーンのような壁!の上に並べられた!のですね。
きっと、そうです。
この図を見る限りそうです。
すばらしい!です。
ゆがみのない映像もここで生まれる!のですね。
まっすぐなスクリーン!で生まれる!のですね。
さすが!です。
もう、疑う者は居ません。
テレビの画面もまっすぐ!です。
映像の画面もまっすぐ!です。
映像を得るには、まっすぐであるべきだ!とお考えになられた!のですね。
それで、わざわざ溝!をお創りになられた!のですね。
このしもべは後頭葉!というので、頭の後ろ!であるばっかり思っていました。
でも、本当は溝!であった!のですね。
視放線!もきっと何万本もある!のでしょうね!
配線!された!のでしょうね。
すばらしい映画館ですね。
映画館の場合は、1個のフィルムが四方八方に光点を拡大する!のですが、ここの映画館はまるでテレビ!のようです。
テレビの画素が何個もある!ようです。
画素に当たるのが視放線である!というわけです。
そして、スクリーンを通して見える!のです。
スクリーン上では、ピカピカして反応して輝いている!のです。
神様!できました。
あなた様のお創りになられたテレビの映像が出来上がり!ました!
視放線はテレビの画素!です。
そこで、電気(光)の強さがスクリーンに映し出される!というわけ!です。
でも、テレビは流れる線!ですか?
脳の視放線は固定されたもの!ですから、はっきり見えます。
正確にしっかり映し出します。
その光がどのような光なのかをキャッチするものがある!のです。受容体!です。
光→電気でできた受容体!です。
今、目から伝わってきた同じ光→電気→図と、同じものをカチカチするために創られた受容体!です。
体験によってできたものです。
スクリーン!には、たくさんたくさんその受容体が並んでいる!のですね。
選択しやすいように並んでいる!のですね。
ジグソウパズルのピースが並んでいる!のですね。
そして、送電された図と同じ図のピースがピカピカ!する!のですね。
スクリーン上には、ピカピカがいっぱい輝いている!のですね。
それを見ている!のですね!
でも、まだ足りない!ですね。
組み立てなければいけない!のですものね。
そうしますと、スクリーンは二重!になっていなければなりませんね。
ピカピカを組み立てるスクリーンです。
コンピューター!ですね。
情報を勝手に無差別に入力してもきちんと順序正しく整理してしまう!のですね。
それなら、この二重スクリーンの考えで良い!ですね。
理解できた!という事ですね。
二重スクリーンは、ピカピカの反応したものを順序正しく整理する所!と理解!したらよいでしょ!
神様!これで理解できました!
なんてすばらいい目!でしょう。
光の屈折は、まず水晶体で始まる!のですね。
それで、中央の景は右眼と左眼の水晶体で集められ、網膜の両端に映る!のですね。
それを交叉せず、まっすぐ右眼の右側のものは右に運ぶ!のですね。
視索を通って外側膝状体を通って、視放線に乗って運ぶ!のですね。
そして、右側の視覚領のスクリーンに投げ出す!のですね。
そこでは、同じ電気(光)に共鳴する図が“あって”ピカピカ輝く!のですね。
それをピカピカをを組み立てるスクリーンを通して映し出される!という事ですね。
この説明文では、
視神経交叉では、両眼の網膜の左半分に由来する視神経線維は左側の、右半分に由来する視神経は右側の膝状体に達している!
と書かれています。
やはり組み立てられる!のですね。
コンピューター!でなければできませんね!このような情報処理は。
神様!あなた様は、やはり情報処理を行うコンピュータをお創りになられた!のですね。
理解はそう語る!のです。
そう、
「そうでなければ理解できません。離れたところで再生される像をどうして結びつけられる!でしょう。
それは、再生!する時、編集する!のです。
二つ目のスクリーンに映し出された映像は、コンピュータによって更にまた編集される!のです。
スクリーンの壁で映し出された映像は編集される!のです。
そのメカ!も“ある”のです。
情報処理!のメカ!もある!のです。
離れてできた映像を編集するメカ!もお創りになられた!のです。」
なんとすばらしいことでしょう!
もう視覚はコンピューター!だらけ!ですね。
ピカピカをスクリーンに組み立てるコンピューター!と、そのスクリーンに組み立てられた映像を更に編集するコンピューター!です。
なんてすばらしいメカ!なのかしら!
驚いてしまいます。
コンピューターの内部について知らないこのしもべは、ただ、コンピューターが“ある”と思っています。
その詳細なメカについては、わかりません。
かんべんして下さい!
このしもべは、コンピューターの内部については、からっきしわからない!のです。
だって、操作するだけでもやっと!なのです。
本当はまだ判らない!のです。
操作する事もできない!のですから!
でも、やっと理解できたようです。
このしもべなりに納得しました!
それは、大いなる叡知!でなければ創られなかった!と理解しました!
コンピューターを創られた!のですから。
DNAというコンピューター!で、視覚のコンピューター!をお創りになられた!のですもの。
偉大な叡知!です。
これ以上の叡知はありません!
すばらしい!の賛美は目が語ります。
「私達はコンピューター!です。私達!と申し上げたのはたくさんのメカが“ある”からです。
それは、コンピューターを創るように創られた!のです。
勿論、コンピューターよりすばらしくできている!のは、その中に“あらせられた”メカ達を理解すると、よくわかります。
叡知!でなければ創れないもの達!ばかり!です。
桿体のロドプシンも、錐体のオプシンも、光の量子を御存知のお方様でなければ考えることはできません。
そして、桿体や錐体の細胞の設計!も水晶体も毛様筋も角膜もガラス体も、80万から100万本もの視神経細胞も、それを運ぶ線も、視放線も溝の視覚領も、スクリーンも、スクリーンの10億個もの細胞も、その図もピカピカを組み立てるコンピューター達も、できたスクリーンを編集するコンピューター達も、全ては叡知の結晶!です。
叡知の結晶!です。
『よくやった!』のお声は、その時、
神様!あなた様に向けられた!のですよね。
『よし!』のお声!として。
神はそれらを見られて、よし!とされた!のですもの!
イエスの御名によって、アーメン!