1999年12月16日(木)
イエス・キリストの父上であられるヤーウェーの神様!
あなた様を讃美申上ます。
全て、神様の御心のままに成ますように!アーメン。

神様!楽しい!です。
よく見えます。
色がよくわかります。
たとえ、生化学辞典の事がわからなくても、
今、見る事ができる!
この事はすばらしい事です。
生きている事が楽しい!です。
見る事ができる!から楽しい!です。
いつまでも見あきる事はありません。
たとえ、すばらしい物を見る!のでなくても、
良いのです。
見る!事だけで良い!のです。
たとえ、紅葉やイチョウやもみじが見られなくても
よい!のです。
すばらしい景は風に散りました。
すばらしい景ではなくてもよい!のです。
見る事が楽しい!です。
緑の葉を見るだけでも
茶色の芝生を見るだけでも
金と銀色の混色のような落葉を見る!
だけでも、
楽しい!です。
ごうかな料理を食べなくても、
オイシイ!です。
舌はオイシサ!を語ります。
たとえ、クラッシックを聞かなくても
楽しい!です。
音を聞くだけで、耳は音のすばらしさ!を教えてくれます。
今、流れる音も、すばらしい!です。
音に秩序を与えた!のも耳!です。
まるで、ピアノのけんばんのように規律正しく並んで
います。
だから、このしもべもピアノの音に共鳴できます。
規律正しさを知る!ので
耳は音の規律正しさを知るのです。
ピアノの代用をして
ピアノと同じように、音をかなでる!のです。
まるで
再生!です。
ピアノの音の再生を、耳が行っている!のです。
今、トランペットの音と、バイオリンの音が流れています。
耳は再生をしています。
流れた音を耳で再生しています。
その再生されたものが
すばらしい!ので
このしもべは、美しい曲だわ!と思います。
神様!耳は再生をしている!のですね。
ピアノのけんばんのように、音を再生している!のですね。
感受する!とは、そうゆう事ですね。

再生!ですね。
瞬時に再生する!のですね。
そうしますと、
耳にはバイオリンもある!し、トランペットもあるし、
ハープもある!のですね。
音は、なんでも再生できる!のですね。
なんとすばらしいメカ!でしょう!

音!なんでも再生する耳!
音の、どのような音でも瞬時に再生してしまうメカ!
です。
このようなメカはありません。
ピアノの音も、バイオリンの音も、ハープの音も、トランペットの音も
タイコの音も
全てを再生できるメカ!
いいえ、
再生!と考えずに、
生み出す!と考えたら!
すばらしい!です。

音を生み出すメカ!と考えたらすばらしい!
です。
実際、音を生み出して、とどけている!のですものね。
全ての音をキャッチして、とどけている!のですものね。
すばらしい!です。

どのような楽器も、耳!には及びません。
もし、
耳のような楽器がある!としたなら、
すばらしい!です。
でも、
その楽器を演奏する事は至難の技!でしょうね。
神技!でしょうね。

神様!あなたでなければ演奏できません。
その楽器をお使いになって、演奏できるお方様は
あなた様!だけ!です。
どんな音でも創る事ができた!のですもの。
小さな小さな耳の中に!

なんてすばらしいメカ!でしょう。
それを取り出して、大きな楽器にしたら、
どうでしょう!
なんと大きなけんばんが並ぶでしょう。
なんと大きな弦が並ぶでしょう。
コトの弦やビオラの弦やバイオリンの弦やハープの弦や
シャミセンの弦まで
多種多様な弦が並ぶでしょう。
すばらしい!です。
そして、管楽器!
フルートやトランペット、バスーンやトロンボーン、そしてハト笛
や尺八の音!まで、
なんと多彩の音色が出る事でしょう。

逆に考えたらよい!のですね。
あなたのお創りになられた耳!を
発信体!と考えたら良い!のですね。
音の発振体!と考えたら良い!のですね。
そこからは
なんとたくさんの音が発振される事でしょう。
けんばんがいくつもいくつも並ぶでしょう!
このしもべには、同じように聞える音が
なんとたくさん“ある”でしょう。
その音と音の差は、何ヘルツ!なのかしら!
とっても微弱な振動差!なので、
だれもわからない!でしょ。
そのけん盤をたたいて
『ホラ、この音と、この音はちがうだろう!』と
おっしゃられても、
その音の差を知る事のできる人は居ない!でしょう!
大いなる事!です。
なんとすばらしい事でしょう!

耳のけんばんのなんと緻密にできている事でしょう!

神様!この事を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデ
ショウ!」「アリガトウゴザイマス!」と
讃美申し上げます。お礼申上ます。


あなた様は『それよりわかるだろう。
 耳がそうであるように、目もそうなのだよ!
 目の錐体の中には“ある”のだよ。
 逆から、発信するものを考えてごらん!』と
おっしゃられている!ようです。

ああ、なんとなくわかります。
寝ていないで、ここに来てよかった!です。

又、教えて下さった!のですね。
ここは素粒子の里。
ハトがたわむれ、犬の散歩する所!
緑さえる所!です。

逆を考えたらよい!のですね。
そこには発信体!がある!のですね。
吸収して、発信するものがある!のですね。
耳と同じように
音を吸収(共鳴して)再びその音を体内に
流すものがある!のですね。

そうしますと、
錐体の中にも“ある”のですね。
緑の色を吸収して、再びその色を体内に
流すものが!

緑のどのような色でも、
淡い緑の色も、濃い緑の色も
赤いどのような色でも、
淡い赤の色も、濃い赤の色も
青のどのような色でも、
淡い青の色も、濃い青の色も

赤はバイオリンの音
緑はビオラの音
青はハープの音!である!と理解したらよい!
のですね。
そうしますと
赤にはバイオリンの音が高い音から低い音まで
“ある”ように、たくさんの(音)色!がある!という事ですね。
緑にも、青にも、たくさんの(音)色!がある!という事
ですね。

『光の粒子はそれ自体分れないのだよ!』
と、おっしゃられている!ようです。
そうですね。粒子は分かれる!のではない!ですね。
全ての色!を持っている!のですよね。
今見える緑の色は、色の粒のある部分が現われている!
という事ですよね。

ある性格が現われている!と考えたらよろしい!でしょうね。
粒!は分れる!のではなく、
ある性格が現われている!のですね。

光の粒には、たくさんの性格がある!のですね。
まるで人間と同じ!ですね。
たくさんの性格があって、
ある時は、優しい性格が現われ、
ある時は、きびしい性格が現われ、
ある時は、ゆううつな、不安な性格が現われる!
という事ですよね。
それらの性格が、たくさんある!という事ですよね。

持っている!のですね。光の粒子は、
たくさんの色を。
それが、ぶつかるものによって、吸収されてしまう性格と、
反射されて現われる性格がちがう!
という事ですね。
まったく!
人間の性格と同じ!ですね。
ぶつかる相手によって、優しくなったり
ぶつかる事柄によって、きびしくなったり
不安になったりする!のですから、
楽しい!です。
光の粒も、人間の粒も同じ!なのですから、
持っている性格が、相手によって
現われる性格がちがってくる!のですものね。

なんとすばらしい世界!でしょ。
全くちがうもの!なのに、
見つけたら、共通のものがある!のですから、
おもしろい!ですね。

このしもべは、光の粒にでも成れそうです。
思いっきり、光の粒に成ってしまいましょ。

「あら、この木の葉に入ったら、平安な気持ちになったわ。
 優しい気持ちになったわ。
 満ち足りている!からかしら。
 あすの事を、思いわずらわずにいられる!からかしら。
 思いっきり、太陽をあびて、たくさんでんぷんを
 作ったので、もう今日は仕事をしなくてもよいわ!
 という余裕がある!から
 思いわずらう事はないのね。
 平安!そのものね。
 このしもべがラブレターを書いている時の気分ね!
 その気持が
 私である光の粒にも伝わってきたの。
 私まで、平安になったわ。
 どう、
 私である光子は、平安の気分である事が
 見てわかるでしょ。
 私はすぐ顔にでる!のよ。
 自分の気持が表面に現われる!のよ。
 見えるでしょ。私(光子)が平安である事が
 ここに来たら、平安になった!という事が
 わかる!でしょ。
 私は今、平安よ。そう、平安である!
 という事を、伝えている!のよ。
 私を見たら、平安である!と思ってちょうだい。
 光子が平安な時、緑の色を出しちゃう!のよ。
 あなたの目の錐体の中に入った
 私も、平安な私!なのよ。
 球体!
 同じ球体!でも、平安の性格の球体!
 なのよ。
 物理的には、光の波動!となって現われる!
 のよ。
 それは、音が音の周波数で現われるようにね。
 キャッチする者には、
 現われた性格としてキャッチされる!のよ。
 耳には、音の周波数でキャッチされる!ように
 目には、光の波動でキャッチされる!のよ。

 私は光子!たくさんの性格を持つ光子!
 相手によって、その性格が現われる者!
 私の性格はたくさんあるの。
 だから、ある時、ある物と出会ったら
 ある性格がでるの。
 その性格は、
 わたしの顔にすぐ出ちゃうのよ。
 顔!といっても、私の一部!ではないの。
 私の顔は、丸い球体!
 だから、
 顔!といったら、丸い球体自体!そう、
 全体!だと思ってね。
 丸い球体全体に出てしまう!のよ。
 どうしようもないわね。
 かくしておけないの。
 すぐ顔に出ちゃうのよ!
 ブツカると、すぐ出ちゃう!のよ。
 見てごらんなさい。
 私がブツカっている所を、見てごらんなさい。
 茶色になったり
 灰色になったり
 黄色になったり
 橙になったりしている!でしょ。
 
 あれが私!
 私はすぐ顔にでちゃうの。
 私のもっている性格が、すぐでちゃうのよ。
 ブツカル相手によってすぐ顔にでるの。
 それが色!よ。

 私のたくさんある性格の1つが反射されて
 出たもの!なの。

 その色!も、
 あなたの性格が、これが優しさで、これが平安で
 これがきびしさで、これが不安で、とか区別できない
 ように、区別できない!のよ。
 混合されたもの!なのよ。
 相手によって、これがあなたの優しい性格が現われた
 ものよ!とか、
 これがあなたの不安が現われたものよ!とか、
 はっきり、言えないように、
 私の性格の現れも混じりあったもの!なの。
 でも、
 あなたの性格が、これは優しい気持の現れだわ!
 とか、
 これが不安の気持の現われだわ!
 という事はある!でしょ。
 それが
 私達にもある!のよ。
 そして、それが実にはっきり!している!のよ。
 色の波動は、測ったら、はっきりしている!のよ。

 あなたの性格の現われは、機械で測れない!
 でしょ。
 でも、
 私の性格の現われは、機械で正確に
 測れる!のよ。

 私達は単純!という事かしら。
 機械で測れる性格!なのですもの。

 単純な性格である!という事かしら。

 今現われている性格は、優しさかな、平安かな、
 今現われている性格は、あの大空のように寛大な
 心!かな。
 今現われている性格は、あのサザンカのように
 華やいだ心かな!
 と測定すると、正確に出る!のよね。
 「ハイ、それは、華いだ心です。華ぎの波動を出して
  います」とか
 ミカンの色を測定すると「ハイそれは少し華やいだ心です
 華ぎの波動が少し少ないです」とか
 オムレツの色を測定すると「ハイそれは少し平安とまじりあった
 華やぎの心です。満されて華やいでいる心!です。
 波動がそれより小さくなり、緑の波動に近ずきました」とか
 告げてくれるのですもの。

 丸い球体の私はちっとも変らないのに、
 私の中にある性格が、色として表面に現われる!
 のよ。
 それをあなたは見ている!のよ。
 それをあなたは正確に測定している!のよ。
 あなたの錐体のメカ!で
 測定器はあなたの目の錐体の中に“ある”のよ!

 測る!だけでなく、再生!させている!のよ。
 今、受けた光の性格は、何であるのか!という事を
 どのような性格でも、キャッチ!できる!という事よ。

 赤でも、橙でも、ピンクでも、黄色でも、緑でも、紫でも
 どうゆう色でもキャッチできる!という事よ。

 あなたの目は測定器ね!
 私達の性格を測る測定器ね。
 私達の現われた性格を測る測定器ね!
 私達の現われた色を測る測定器ね!

 大いなる叡知は、私達の性格をなんでも御存知!なのね。
 私達の性格が何で測定できる!のかをも御存知!
 なのですもの!」
神様!今、オムレツを食べています。
見えます。
光子の性格が
ブツカル物!によって、性格を現わしています。
米に当ったものは、橙色、ケチャップゴハン!です。
サヤエンドウに当ったものは、緑色。
オムレツに当ったものは、黄色。
ケチャップに当ったものは、赤色!
トマトに当ったものは赤色。トウモロコシに当ったものは、黄色。
キュウリに当ったものは緑と淡い緑色。
ツナに当ったものは、ベージュ。
アズキに当ったものは、あずき色。
ダンゴに当ったものは、白。
それを受けた!のです。
あなた様のお創りになられた錐体のメカ達は
色の波動を受けて、測定し
再現した!のです。
再現して送った!のです。
脳の中で再現した!のですね。

音を、どのような音でも、耳が感受!できる!
ように、
色を、どのような色でも、感受!できる!
のですね。

そして、耳が、その感受した音を再生!できる!
ように、
目は、その感受した色を再生!できる!
のですね。
耳の中に、あらゆる音のけんばんが“ある”ように
目には、あらゆる色の波動を受信するものがある!のですね。
受信して、それを、発信するもの!がある!のですね。

受信するものを逆に考える!と、
発信するもの!として考える事もできる!のですよね。

音の共鳴の場合は振動!なので
理解しやすい!です。

でも、色の場合は
理解しにくい!です。
光の波動は、仲々体験できませんから。
でも、
目は、わかっています。
光にも強弱がある事を、
それを波動である!と思えば良い!のでしょ。
朝の光と昼の光!
月の光と、太陽の光。
電気にも、暗い光や明るい光があります。
それを数である!と思えば良い!のでしょ。
数の大小である!と思えば
波動の大小である!と思えば良い!のでしょ。

音にヘルツがあるように
音はヘルツが語っている!と思うように
光にもナノメートルがあるように
光はナノメートルで現われている!と思えば良い!
のでしょ。

そうしますと、
このしもべは、光をナノメートルで受信しています。
       光をナノメートルで受信し、
それを、感受しました。 
光をナノメートルで受けるメカがある!からです。
それを、脳に伝える!わけですから
光をナノメートルの波動で受けたメカは、
今度は、それを
再生!して、脳に送った!わけです!よね。
再生メカは“ある”のですね!
それを電気として送る!というのです
から、すばらしい!ですね。

光の織り成す色!を、電気として送る!
のですから。

光の測定器が“ある”ばかりでなく
その測定器は、測ったデーターを電気にして
しまう!のですから、
すばらしい!です。

理解はなかなかおいつけません。

あなた様の創造のおっかけ!をしている!のに、
理解は又又鍵を与えてくれました。

おいかけても、おいかけても、やはり、
御手の中!です。
考えは御手の中を、おいかけっこ!しています。
おそらく永遠に。
人間は、御手の中をおっかけっこ!している!でしょう。
ああ、又謎が出てきた!と、言いながら
人間の叡知は、おっかけっこ!をしているでしょう!

目の奥の錐体は再生します。
どのような色でも再生します。
瞬時に再生します。

錐体には、再生メカが“ある”のです。100万個も。
どのような色でも再生できる!のは、そのため!です。
赤色の豆電球に当ったり
緑色の   〃
青色の   〃   りしながら
色を再生!している!のですね。
ピンク色を再生したり
黄色を再生したり
橙色を再生したり!している!のですね。

そうしますと、色の宝庫!なのですね。
色の受信宝庫!なのですね。

なんでも、どんな色でも色は、受信!される!のですね。
なんとすばらしい事でしょう!
そうしますと
このしもべの錐体は、カチッカチッと、
受けた光に輝く!のでしょうか!
もし、そうである!とするなら
錐体は宝石箱!よりもっと多彩な輝ける
色の宝庫!ですね!
もし、たとえ色を発しなくても、理解は色ずけして
しまいます。
そこに“ある”のは赤・緑・青の豆電球だけではない!と
それらは“ある”けれど
それらが実際に感受するのは
色!全てである!
光子が持つ色!全てである!と
そして
反応して輝す!のは黄色や橙色や紫や
全ての波動の色!である!と。

神様!もうこのしもべは錐体を
輝やける宝石箱にしてしまいました。

箱!ではありません。
600万〜700万個の箱は、この景全ての色に
そまっている!のです。
それも瞬間瞬間で変わる!のです。
じっとして一点を見ている!ようでも
必っして一点を見ているわけではないこのしもべの目は
瞬時に受ける色を変えている!のです。

600万〜700万個の錐体の感受する色は
その1本1本が瞬時にして別の色を受けて
ピカピカしている!わけですから

錐体を集めている中央窩はキラキラ輝く
光の箱(錐体型の箱)に成っている!のですね。

受けた色で輝く錐体の箱で
イルミネーションしている!のですね。
なんてすばらしい景!でしょう。

この公園の景は、錐体の箱に集合されました。
小さく小さくなって、目の奥に集合しました!
一点の目の奥に集合された!のです。

目はやはり、ビッグバンをお考えになられた大いなる
叡知のお考えになられた作品!です。

集約も、拡散も、自由にお考えになる事の
おできになられる、お方様のお考えになられた!ものです。

なんとすばらしい事でしょう。

光の芸術作品。
光の芸術作品であり
光の偉大なるメカ!である目!をお創りになられた
お方様は、

光を分散されたお方様!であられた!のですね。
ビッグバンの時
光を分散されたお方様!であられた!のですね。
そのお方様が

光の集合!もお考えになる事ができた!のですね。
ただ集合!するだけでなく、

分散した光!の事を、よくよく御存知であられるから
光の性格も御存知であられから
それを現わすメカ!まで発明発見されてお創りになら
れた!のですね。
目は、それをうったえていた!のですね。
気付け!と。

光を創られたお方様が(大いなる叡知)が
私を創られたのである!
DNAから創られたのである!
それは
ビッグバンの逆でもある!のだ!と。

神は体験によって、全てをお考えになられた!
のである!と。

なんとすばらしい事でしょう。

目には、ビッグバンの考えの逆が隠されていた!
のですね。
光の拡散の逆、
光の集合!です!      
イエスの御名によってアーメン。