1999年12月13日(月)
イエス・キリストの父上であられるヤーウェーの神様!
あなた様を讃美するクリスマスツリーが輝いています。
キリスト教国ではない、この日本にも、クリスマスツリーは輝いています。
讃美せずにはいられない何か!がある!からです。
思い!は、讃美させている!のです。
DNAの思い!が讃美させている!のです。
何千も何万種類もある、神の創ったメカ達が
讃美させている!のです。
人間!として
創ってくださってアリガトウゴザイマス!と
心低から、さけび声をあげている!のです。
その思いを現わそう!としている!のです。
その思いを現わさなければ、なんとなく
おちつかない!
そのようにDNA達は考えている!のです。

クリスマスツリー!
神への讃美!
御子の御誕生!の祝いであり、
人間の誕生!の祝い!です。

自分達の存在!こそが一番重要な事、
人間の誕生!こそが人間にとって
一番大切な事!です。

神様!人間はそれを祝っている!のです。
きっと、そうです。
クリスマスツリー!を見ていると
それは
誕生の祝い!です。
キリストの御誕生の祝い!であり
人間の誕生の祝い!です。

あの、Mにピカピカ輝いているクリスマスツリーを
見ます。
「神の成さる事はすばらしい!」と、語っています。
「神は必ず成す!神の創られたものはすばらしい!
 人間は、この建物を建てました。
 そのように
 神は、ワタの植物や、カイコガや、魚や、鳥や
 ワニやチョウやトンボやたくさんたくさん
 すばらしい生物を創られました!

 このツリー!はそのためのもの!です。
 その生きるもの達のもの!です。
 人間だけが神を讃美している!のではありません。
 ワタの草やカイコガやゾウやシマウマや
 フラミンゴやワニやカバやライオンやヒョウや
 トンボやチョウやクマや
 ヒマワリやサザンカやサルスベリや
 全ての生物がアリガトウ!と告げている
 光!です。
 わたしは、そのように思ってピカピカ輝いて
 います。
 この光は、キリストの誕生!だけを祝うものでは
 ありません!
 人間の誕生!を祝うものであり
 シアノバクテリアや海藻やカエルやミミズやヘビやワニや
 カワウソや、ナマケモノや、ヒマワリや百日草
 やパンジーや犬や猫やキジやクジャクの
 誕生を祝うものなのよ。
 私は自分の光を、生物のため!に輝しています。
 この光はモミジのため、この光はサルスベリのため
 この光はイチョウのため、この光は松のため
 この光はカエデのため、この光はカラマツのため
 この光はヒマワリのため、この光はサザンカのため
 この光はパンジーのため!
 と、思って、輝しています。
 それらが次々にピカピカ輝いて
 言っている!のです。

「神よ、偉大なる叡知と愛よ!
 私達を創って下さってありがとうございます!」

 私達の中に“ある”“限りない叡知あるもの”
 をたくさんたくさん創って下さいまして
 アリガトウゴザイマス!」と、告げている!のです。

私は光!だから、光!を御利用に
なられた研究者!を讃美します。

確かにエジソンも、その対象になります。
だって、私が今、このようにピカピカと
モミの木の上で輝けますのも、彼のおかげ!です。
そして
私は、生物の中にも目を向けます。
私達がとどけられ
私達が利用されています事を
とっても嬉しく思います。
そして、私達を利用するために
まるでエジソンのように、一生懸命になって、御研究され
ておられた!そのお方様を讃美申上ます。

主は、与える!ために御研究されました。
主は、無の時、私達だけがあった時、御研究
されました!
光を利用しよう!と、
どうしてできる!と、お考えになられたのか!
フシギ!です。
光と水と空気と地球よりなかった時
何に光を利用しよう!とお考えになられた!
のかしら。
光で熱をためておくものを創る!
というお考えだった!のでしょうね。
今、考えてみますと、それだ!という事がわかります。
でも
あまりにも高いお考えなので、光である私達は、
予想もできませんでした。

家を建てよう!と思う人が居て
その時代の家は、ほら穴!が常識である!
のに、
その人は100階建てのビルデングを建てて
しまった!
そんなオドロキ!です。

光により、熱を作り、それをためておく物!
を、
神がクロロフィールとATPメカが、熱をためておくもの
をお創りになられました時には
私達光は、オドロキのかん声をあげた!のです。

なんとすばらしいお考え!なのかしら!と、
皆、フシギに思った!のです。
どうして創られたのかしら!と、フシギに
思った!のです。
そして、私達は、そのクロロフィール
の中に入って行った!のです。
そこには、
私達の歓迎!のフダが立っていた!
のです。
「ようこそ、光さん。よくおいでになりました!」
との歓迎のフダを通り抜けると
私達の仲間が
あっちからも、こっちからも、集って来ました。
そして
ある所に来ると、点火!された!のです。

パッ!と明るくなった!のです。
そこは、発電器だった!のです。

まあ、おどろきましたわ。
あんなにおどろかされたのは久しぶりです。
確かに10万年前、太陽の中央部で
核反応が起た時にも
オドロキましたが

それから、この平安な所にたどりつき、
やれやれと思っていたのに
急に仲間は集まり、パッ!と明るくなった!
のですから。
これが、主の創られた光の応用のメカだわ!と
思ったのよ。
そのような事が2ヶ所で起ったのよ。
そして
私達は、光!でなくなったのよ!

なんとかなしかった事でしょう。
こんなに悲しかった時はなかったわ!
でも
フシギな事に、でも生きていた!のよね。
まるで、死後魂が生き続ける!ように。

私達は生き続けていた!のよ。
エネルギー!として。
そのエネルギーが葉緑体でATPをつくり、

葉緑体の中でブドウ糖をつくり、
更に
そのブドウ糖が、ミトコンドリアの中でATPをつくる!
の。
神の創られた、
私達光を利用して、エネルギーを創られた
方法!よね。

この事には、ビックリしたわ!

※このオドロキが、私達が讃美する理由!よ。
 ピカピカ今でもオドロイテいて、讃美しているのよ!
 植物の誕生!をオドロイテ、讃美している!のよ。
そして、又、ビックリした私達の利用!は
目!
私達を利用して、見せる!という事を
発電器とエネルギー合成の発明を讃美しているの!
神はお考えになられた!のですもの。
私達だって、見る事はできない!のよ。
光である、私達だって、目がないから見えないの!
ただ
ピカピカ輝いている!だけよ。
いわば、ピカピカ輝く盲目ね。

メカがないと、見る!という真実はないのよ。
光だけあっても、見る!という現象は“ない”のよ。

でも、叡知と愛は、創った!のよ!ね。

まあ、なんてすばらしい言葉かしら。
我ながら、感心したわ。

私はもう、神を、叡知と愛!とよぼう
かしら。
いつも、ピカピカ輝いて、神を讃美して
いる!ので
神!の事は、いつも想っている!のだけれど
今から
神を、叡知と愛!とよぼうかしら!
すばらしい名でしょ。
そのものずばりでしょ。

私は光!私は物ごとをあかるくてらす
者!
だから、隠れている部分を、明るく照らして
しまうのよ。
それで、見えたわ。
神の事も。
光にあてたら、神は御姿を消して
ただ、叡知と愛!に成ったわ。

あまりにも強い光!の前では、姿も型も消えてしまう
事を御存知!
太陽の強い強い光の前に物質を居くと
見えなくなる!のよ。
その姿が見えなくなるのよ!

私は光!だから、それを行ったのよ。
強い強い光で神を照したの。
そうしたら
神の姿は見えなくなったの!
そして、認識できたのは
大いなる叡知と、大いなる愛!だけ!

だから、
私はもう認識した!のよ。

神は叡知と愛!である!と。
御姿は仮の姿!
そこには、大いなる叡知と、愛だけがある!と。

だから、私は、神を叡知と愛!とよぶわ!

私の認識にまちがいはない!はずよ。
姿ではなく、本質だけを問題にする、
私達には、神は、大いなる叡知と、大いなる愛!
としてうつし出される!のよ。
あっ、そうそう、私達の利用!として、
大いなる叡知と愛!は、
見るもの!というとっても考えられないものを創られた!
のよ。
目というものの“存在”は、私達光にさえ、
フシギなもの!なのよ。
光である私達さえ、ただ“ある”だけなのに
“ある”ものの他に
“ある”ものを知る!という事が、どうして“ありえるのか”
とってもフシギ!なのよ。
1つがあり、1つがあり、無数にあるものが存在する。
それで良いでしょ。
それをどうして、知らなければいけないの。
火星では“ある”だけよ。
それでよいでしょ。
あるだけで完璧よ。
その他に“ある”事を知る!という事は
必要な事ではない!のよ。
でも
大いなる叡知は“必要だ”とお考えに
なられた!のね。
それは
次元のちがい!のようね。
“ある”事が三次元の事であるなら
“ある”事を知る事は、四次元である!
ようなものよ!
私達光は“ある”事だけで満足して
いる!のよ。
岩も海も空も火星も宇宙のもの
は全てそうよ。
でも、
“ある”事を知る!ものが必要である!
“ある”事を知る!という事を、お考えになられた叡知は、
いったい、どのような叡知!なのかしら。

私達光が“ある”から、岩や海や空がある!のではない!
のよ。
全ては、ある!からある!の。
それでよい!の。
それで完璧な情景よ。

“ある”ものが、どのようであるかを知る!
という事をお考えになられた叡知は、
よっぽど知る!という事が好き!なのね。

知らなくても良いと思うのだけれど
“ある”事を知る!という事をお考えになられた
叡知!は、
やはり
叡知!ね。
すぐれた知恵者ね!

叡知!そのものね。
知る!という事をお考えになられている!のですもの。
もし、
叡知!がなかったら

知る!という事はあり得なかったわね。
知る!という“存在”がなかったら
どうして知る!という事が“ある”とわかる!でしょう。
知る!というものがあった!から
知る!という事を“存在”させよう!とお思いに
なられた!のよね。

知る!というものの“存在”が
知るものを創ろう!という思いの大前ていである!
という事ね。

知る!というものの“存在”が
知るものを創ろう!という思いが起るためには
必ず必要であった!という事ね。

その
知る!というものの“存在”が叡知!よ。
創ろう!と思われた!のであるから

叡知も、はんぱでない大いない大叡知よ!

“ある”という事を“知る”必要がある!とお考えに
なられた叡知!は

“知る”という事の必要性を、考えた!のね。
何度も何度も考えた!のね。

“知る!”という事の必要性を考えた!のね。
そして
その第一の出発が

“ある”という事を“知る”という事であった!
のね。
“ある”とは、海中では海流であり、温度であった!のですね。
それを、
“知る”という事!をお考えになった!のね。

大いなる叡知には“ある”事は知っていたの!でも
大いなる叡知は“知らせたかった!”のね。

“知らせたかった!”のね。
それを創られた!のね。
知るもの!として、創られた!のね。

大いなる叡知は、叡知を創った!のね。

知るもの!である叡知!を創ったのね。
これが叡知!の存在!の二番目の存在ね。

一番先に“存在”した大いなる叡知が
知るものである第二の叡知を創った!という事ね。

“知る”という事を知っておられた第一の叡知が
“知る事を存在させた!”
“知るものを創った!”という事よね。
この
創られた知るものの存在が、第二番目の叡知よ!

第一の叡知は、第二番目の叡知を創ったのよ。
それが生物達!よ。

“ある”ものである私達光を知る!もの!を
第二番目の叡知(生物達)に創って与えた!のも
第一番目の叡知が“ある”事を知る必要がある!と
お考えになられた!からよ。
その1例が、ミドリムシの目!
私達が“ある”事を知る必要がある!から
創って与えた!のよ。
光合成するものであるから、必要である!と、
お考えになって、創って与えられた!のよ。

そして、ミミズの皮フにも、私達が“ある”事を
知らせる必要がある!から
創って与えた!のよ。
乾燥に弱い皮フだから、熱さや光を感じ
る事ができなければ、死んでしまう!から
知らせる必要があった!のね。

魚達にも“ある”事を知らせたかった!のね。
“ある”事を知らせなければ
泳げない!のですものね。
そして
魚達には
私達の中に“ある”色をまで教えた!のね。

大いなる叡知のなんとすぐれた教師である事!
でしょう。
全ては教えておられる!のですもの。
知る!という事は
創る側にしたら、教える!という事です
ものね。
“ある”事を教えるため!にメカを創って
与えたのよね!
私達の利用!も
大いなる叡知!は教えるため!にお創りになられた!の
よね。
わざわざ私達の中の色!まで感じられる!
ように、
色まで教えるために創られた!のね。
なんとすばらしい事でしょう。

大いなる叡知が、私達を教えるために創られたメカが
たくさんある!のね。
まず、
私達光を集めるために、水晶体をお創りに
なられた!のね。
植物でも、私達を化学的に集めるためにクロロフィールやカロチン
をお創りになられた。
今度の場合は、
物理的にお集めになられた!のね。
水晶体!を、発明、発見、創造された!
のね。
4つの塩基で!

なんとすばらしい叡知!でしょう。
創る物!によって、メカまでちがえて創られる!
のですものね。
そして
網膜に私達を集められた!のね。
私達は網膜に集まってゆくの。
そこには私達を受けいれる
光受容器!が“ある”のよね。
その数は約1億個よ!ここで私達は吸収
される!のね。
かん状体細胞と錘状体細胞ね。
ここは細長い細胞で奥に長ーくなっているわ。

私達を通して吸収するのは、直径1〜3ミクロンの
円筒のつつよ。
その中は薄い層になっているわ。
円板がいくつも重なっているわ。
いったい何があるのかしら。
勇気を出して通り抜けてみるわね。
私達は小さいから、らくらくここは通り抜けられるわ。
なにかしら、ゴツゴツ私達に当るものがあるのよ。
たくさんたくさんあるわ。
なんですって、これが視物質!なの!
あの、高校で習わるロトプシンね。
かん状体細胞には、ロトプシンね。
錐状体細胞には、アイオトプシンがあるのね。
なんてたくさんある!のでしょう。
1枚の円板に約1000個もあるの!
1つのかん体細胞には100万個もあるの!
ああ、これじゃ
私の負けね。
このまますーと通り抜けよう!と思っても
どこかで、つかまってしまうわね。
円板が1000段もあるのですもの。
こう言っている内に100万個のうちの1つに
私は、ひっかかってしまったわ。
ああ、どうしましょ。
ここで私の命も終りね。
今度は別の命にバトンタッチ!だわ。
まるで、葉緑体の時と同じね。
神という、大いなる叡知と愛!の創られたものはすばらしい!わ。

私達をも、変える!のですもの。
私達をも、つかまえてしまう!のですもの!
そして、私達を利用する!のですもの。
まるで

『おい光よ!おまえは、ここに来て
 これらのものを変えておくれ!』と、語っている!
ようなのですもの!

まるで、私達の親のように、私達の事はなんでも
知っておられる!ようなのですもの。

そして、おっしゃられる事!といったら
やはり叡知よね。

『おまえを知るために、おまえが必要なのだよ!』
と、おっしゃられる!のよ。
いったい何をおっしゃられている!のかしら。

私達をつかまえて、どうして、私達を知る
事ができる!というのかしら。
私達をつかまえて、食べてしまう!というのかしら!
どうして、
私達がつかまってしまったのに、私達がわかるのかしら!
光は吸収されてしまって
どうして、色がわかる!のかしら。
どうして、明るさがわかる!のかしら。
今、あの円板の視物質につかまってしまって
吸収され、死んで行くのに、
どうして、私達がわかる!のかしら!
私達には、さっぱりわからないわ!

でも、よいわ。
大いなる叡知と、愛が、わかる!とおっしゃられる!
のだから。
きっと、理解される!のよね。私達は!
“ある”だけでも一生。
“ある”事が知られても一生!
それだったら、
“ある”事が知られて一生を終る方が良いわ!

わたしの選んだ選択は、よかった!のよ。

この錐体細胞やかん体細胞に入って来て
よかった!わ。

“知られた”分だけ幸わせよね。
無と化す前に、
“知られた”分だけ幸わせよ!

叡知のお役に立った!のだから
叡知をもたらす一員!に成れた!
のだから!
“あってある者”が“あらせたもの”が御利
用されたのだわ!」と、光は語ります。


それにしても、神は、同じようなもの、そう、カロチン!
を、お用いになられた!のね。
葉緑体の光を集めるためにも、カロチンをお用いになられたし、
動物のロトプシンにも、カロチンをお用いになられた!のね。


カロチンが、ビタミンA2つと成り、ビタミンAがレチナールに成る。
このレチナールがシス型とトランス型に成る。
このレチナールのシス型が、光に感度が高い視物質!よね。

明暗を知る、レチナールも、カロチンを材料として、できる!のね。

やはり御研究!された!のね。

光!を利用するには、どうしたらよいのか!を
その材料に
カロチン!を研究材料!とされた!という事ね。

もしかしたら
大いなる叡知は、葉緑体を、御研究されて
おられた時、

『これだ!』と発見!された!のかもしれない
わね。
レチナールのシス型!を。

『このレチナールのシス型!を使って、光を吸収
 し、光を知るものを創ろう!』と
お考えになられた!のかもしれないわね。
それに気付かせるため!
あの、まっ赤なモミジ!をお創りになられた!
のかもしれないわね!

『気ずつ者は気付け!』と
わざわざ赤信号をお付けになられた!
のかもしれないわね。

『カロチン!だよ。
 これが目の光感物質だ!
 わたしは、これを発明、発見した!から
 これを記念しよう!
    記念して
    記念樹を創ろう!

 そうだ!目のレチナールの発見の記念樹!
 だ。
 わたしは、この事を記念するため
 カロチンを輝かそう!

 葉緑体!の中にカロチンがあり、
 このカロチンが光を集める物質であり
 この研究から

 目が生まれたのだ!という事を
 記しておこう!

 気付く者は気付くがよい!』

と、おっしゃられた!のですね!
“もみじの赤を、神が目を発明、発見された原点”と名付けます。
いくら見てもあきなかった、そよぐ、もみじ!
まるで幻想そのものであるもみじ!

幻想はあった!のです。
それは
神の隠されていたもの!です。

目の発見!です。
光を吸収し、型を変える事のできるレチナール!
の発見!です。

光に鋭敏に反応して、分子構造に変化を
起し、これによって細胞内電位の変動を生じ
させる物質!

光合成の御研究の時、この物質レチナール!は
発明された!のですね!

なんとすばらしい事でしょう!

全ては、発明、発見!で創られた!のですね。
すばらしい!です。

『もみじを見て、レチナールを想うべし。
 目を想うべし!』と、注目させておられた!
のですね。
紅葉の時、一番すばらしいもみじ!の中に
隠されていた!のは
カロチン!ではなく
カロチンから得られたレチナール!であった!のですね。
光を吸収して、電位を発生させる、レチナール!
そして、
それにロトプシン!
なんとすばらしい発明発見物語!であった!事で
しょう!

“ある”事を知らせるメカ!の出発点!であった!
のですものね!

蛋白質のオプシン!

錐体細胞の視物質は、かん体細胞の
視物質と、わずかな差があるだけ!なのですね。

色光に対して、青、緑、赤に最大値を示す
三種のものがあり
それぞれ、オプシンにわずかな差があるだけ!なのですね。

この事も又教えて下さい、アーメン。

  イエスの御名によって、アーメン。