1999年11月12日(金)
神様!オハヨウゴザイマス!
全てを許し、全てを助け、全てを導いて下さい!
神様!あの世はそれでもあった!方がよい!のでしょうか。
裁きの場のためにおかれた所は、それでも必要なのでしょうか!
どうして、全てを幸せにしてあげられない!のですか。
報いをそこにおかれた!のですか。
生きていた時に行った行為の償いをするための場をそこにおく必要がある!のですか!
こんなにからだをすばらしいものにお創りになられたあなた様!なのに、
そのために何億年もの月日をお使いになられたあなた様!なのに。
生きて、死んで、その後にどうして生きたときのあがないをそこでせよ!と、おっしゃられる!のですか。
生きていて、けっして幸福でなかった!かもしれない!のに。
生きていて、苦しみが多かった!のに。
それでもなお、死後までその苦しみを背負わなければいけない!のは、なぜ!ですか。
完璧に生体内メカを創ってくださった!あなた様は、幸せに生きよ!と、御用意されたのではないですか。
そのからだを使って、幸せに生きよ!と、ご準備!された!のではないですか!
火山の地球を鎮め、水で被い、土を創り、シアノバクテリアを創り、Oを創り、海藻を創り、
すばらしいプランクトンを創り、長〜い年月を費やして、ご準備された!のではないですか。
そして、やっと創った人間に、生きる時も、死後も苦しみを与えた!のですか。
生きる事は喜びもあり、悲しみもあり、楽しみもあり、苦しみもあります。それで十分!です。
それなのに、死後!にまで苦しみ!がある!のですね。
生かす事には完璧!でした。
完璧な生体内メカを創って下さり、完璧に生かして下さいました!
でも、大なり、小なり、生きることは苦しい!です。
疲れます。
死後!は、どうなのでしょう。
もし、苦しみが与えられたら、嘆く!でしょう。
嘆きの魂!は、それでも永遠に存在する!のでしょうか!
不幸!です。
いやです、死後にまで苦しみを背負って生きなければならない!それは、いやです。
それなら、パッと花火のように散ってしまう!方がよい!と思います。
魂が残っていない方が良い!と思います。
このしもべは、そのように思います。
あまりにもハンディがあります。
あなた様の創造と、生きる者の姿!には、あまりにも差があります。
これはどうしてですか!
気持ち!が先行!するのですよね。
一生懸命創った時の気持ちは愛!です。
無限大の叡知!です。
完全なもの、最高にすばらしいもの!を創ろう!と、お考えになられた御気持ち!です。
それが変わった!のですか!
そうでもない!のですか。
初めから、それもご計画されていた!のですか。

自分で生きる定め!
それは、過酷な自然のアフリカ!にもあります。
そこに、生きる動物にもあります。
『生きる!という事は、そうゆう事だよ。私は生きる事!をそのように決めたのだ!
自分で獲って食べる!自分で獲って食べよ!と。
それは、苦しみ!かもしれない!が、どうせよ!というのか。
それより方法はないではないか!
働いて食べよ!エネルギーを使って獲って食べよ!と、
ヒョウにもワニにもカバにもキリンにもゾウにも、カエルにもヘビにもトカゲにも言ったのだよ!
食べるものも与えたよ!それ以上はできない!のだよ。』と、おっしゃられている!ようです。
それならば、食べることなど必要のない死後の世界!には、安泰!平安!を与えてください!
苦しまず、働かなくてもよい平安と安らぎ!それだけを与えてください!
ただ、寝させておいてください!
『それでは、進歩がないだろう、進取しないだろう。
人間は考えて、何か新しい事にチャレンジしてこそ!生きる意味がある!のだよ。
家を作っていただろう、おまえの近所で、昨日家の柱立てが行われていただろう。
あのように、人間はチャレンジ!している!のだよ。
そうでなければ、今でも人間は洞穴に住んでいた!はずだよ。
あのように柱を立てる等というむずかしい事は行わなかった!はずだよ。
なにせ、苦しい事だからね。むずかいしことだからね。
でも、行った!それは、人間が苦しいからやらない!のではなく、人間がチャレンジ!している!のだよ。
新しい事に心を燃やして、知恵を使い、挑戦している!のだよ。
それが、人間だよ。私が創った人間だよ!
だから、おまえも楽であれば良い!等とは考えるのではない!
人間として、生きること!だよ。いつも!
そう、生きている間も死後も!
与えられた条件で生きる事だよ!
どのように生きる!かは、その人間の自由だ!
それが多少ひきずる事はあるだろう!死後にも!
生前の生き方と死後の生き方は似る!かもしれない。
それでも、その人間の選んで決める事だよ。
与えられた条件で、精一杯チャレンジして、生きる事!
これが人間として、生きることであるのだよ!』
なんだかわかった!ような気がします。
そうですか。御心のままに成りますように!
あなた様の行われる事は、一番すばらしい!のですから。
生体内メカを、一番優れたメカ!を、たくさん、たくさん、お考えになってお創りになられた!のですから。
あなた様のお考えになられる事は、一番すばらしい!のです。
生きる!という状態まで!
苦しみ、悲しみ、楽しみ、喜び、全てがすばらしい!のですね!
苦しみ!さえも、すばらしい!のですね。
あの柱を立てる時!のように!
何かを心にしっかり立てている!のかもしれませんね。
苦しみの塔は、次々高さを増して、それをバネ!として、人間は成長!する!のですね。
進取!している!のですね。
赤ちゃんの心が大人の心!に成っていゆく!のですね。
苦しみ!という肥やしを得て、成長する木!なのですね、人間は。
そうですね。木は動けません。
けれど、人間や動物や動けます。
楽しみも多く与えられています。
その分だけ苦しみも多い!のですね。
納得できます。平等!なのですね。
『もし、苦しみが嫌なら木に成るかね!
木は、おまえように成りたい!と、考えているだろう!
だから、あの木とおまえを取り替えようか!
チチンプイプイエイ!と、すり替えようか!
いや!だろう!
そうだろう!
それでも、おまえはおまえである方を欲するだろう!
木だったら花火のように死後はない!
それで良いかね。木だったら黙っていれば良い!
まるで、立って寝ていれば良い!のだよ。
それが、望みかね。
おまえの望み!は木!のようでありたい!のかね。
死後も、そして、生きている時も。
苦しみは良いものだ!
それは人間を成長させる!
精神を強くする!
私は創造主だ!私はそのように創った!のだよ。』
精神!神経!そうですね。おっしゃられる通り!です。
神経!もピクリ!と、しません。
初めはピクリ!と、ショックだった刺激でも学習すると反応しなくなります。
なんだ、こんな事くらいじゃビクともしないわと、強くなります!
あなた様のおっしゃられる通り!です。
精神、神経のオドロキも神経のササヤキに成る!のですね、理解する事によって。
神経をショックに強く成る!ように創った!のですね。
この事が進取への架け橋!なのですね。
少しばかりの事にはへこたらない人間!
いつもチャレンジ精神を持つことのできる人間!を
あなた様はお創りになられた!のですね。
苦しみにはめげないからだ!をも、あなた様はキチンとお創りになられた!のですね。
涙が出ます、感激で!
苦しみの多かりき!じっと手を見る!としょげていた!のに、
キチンとあなた様が『大いに苦しめ、それがおまえを鍛えるであろう!
私は、そのことのためにもおまえを創ったのだよ!
苦しみをも乗り越えるメカをキチンと、おまえの中に創っておいたのだよ。
それは、新たな希望を作り出す芽生えにも成る!のだよ。
私はそのように人間を創ったのだから!』と、諭している!ようです。
ショックに強い人間、打たれ強い人間、チャレンジ精神の強い人間!
そうでなければ、発明、発見、創造はできません!
神様!なんと!あなた様もそうであった!のですね。
大いに苦しまれた!のですね。
大いにショック!を受けた!のですね。
創造の時!幾たびも考えが実らなかったり、これでよいはずだ!と思ってもそうでなかったり、
何千個、何万個ものメカを発明、発見、創造するためには、幾度もショックを受けた!のですね。
幾度もチャレンジした!のですね。
その事に耐える精神をお持ち!なのですね!
だからこそ!できた!のですね。
だからこそ、創る事ができた!のですね、数多くの種類の生物を!
これでもか、これでもか!と、たくさんの実験を行われた!のですね。
そして、できた!のですね、木や果樹や草や花が。
幾多の試練を乗り越えて実験された!のですね。
ショックと苦しみを乗り越えてチャレンジされた!のですね。
そして、最高にすばらしいメカを完成された!のですね。
クジャクやオタマジャクシ!を創られた!のですね。
だからこそ、人間にもそのことを行ってみなさい!と、新しい脳!をお与えになられた!のですね。
その脳は、学習する脳!です。
ショックに強い脳!です。
そして、新しくチャレンジ!する脳!です。
もったいない事です。
おそれ多い事です。
いただいた!ことなのに、いただいてしまっている!物!なのに、このように申し上げてしまいます。
同じもの!なのですね。
あなた様と同じもの!なのですね。
それも、最高に価値のある同じもの!なのですね。
創造する事のできるメカ!という!最高にすばらしい、あなた様のメカ!を、お裾分け!してくださったのですね。
持たせた!のですね。
苦労をもショック!も、それに打ち勝つメカも!
そして、再度チャレンジしようとする意気込みも!
まるで、あなた様のように!なれないまでも、お姿に似せて創ったものである!から、
それに恥じないもの!に成るように持たせた!のですね。
創る!という事に一番必要な精神を!発明する!という事に一番大切な脳を。
神経の集合体である脳にお創りになられて、与えた!のですね。
それを、神様!あなた様は『無駄にするな!』と、おっしゃられる!のですね。
わざわざ創って与えたものであるから!
他のどの動物にも与えなかったものを、わざわざ発明し、創って与えたものであるから、
『無駄にするな!』と、おっしゃられる!のですね。
悩め!と、おっしゃられる!のですね。
おまえも柱を立てよ!と、おっしゃられる!のですね。
心にも脳にも柱を立てよ。
苦しんで柱を立てよ!と、おっしゃられる!のですね。
『使え!そうでなければ、せっかっく創って与えた意味がなくなる!
苦しむことは良い事だ!おまえを成長させる!
もし、おまえが苦しみのない世界、安泰の世界に住むようなら、
おまえは、私がおまえに与えた地球で一番すばらしい脳を無駄なものにする!のである!
大宇宙でもけっしてない脳というすばらしい宝物を、無駄なものにする!のである!
楽しむなら猫でもセミでもカマキリでもできる。
でも、苦しんで何かを得る!事は、そうたやすくはできない!
与えられたものによりできない!
私が私のような姿まで与えたものに、私のようであれ!と、
願って与えた最も価値のあるものを無駄にしないように。
私は、私を私と成らせているものの中で、一番すばらしいものを人間に与えた!のであるから。
それが、私の愛なのだから!』
ああ、神様!あなた様は、あなた様をあなた様にならしめているものの中でも一番尊いものをわざわざ創って、人間にお与えになられた!のですか!
それほど、人間を愛しておられる!のですか!
御子をお与えになられた時!と、お気持ちは同じ!ですね。
お考えは同じ!ですね。
最も大切なもの!をお与えになられた!のですね。
創ってお与えになられた!のですね。
どんなにかむずかしかった!でしょうね。
脳!を創られた事に、どんなにか叡知を傾けられた!でしょう!
発明、発見、創造できる脳、ショックを受けて失望し、自暴自棄になって、それでも再度チャレンジする!脳!
脳というメカをそのようにお創りになっておられた時!を偲ばせてください!
涙が出ます。思うだけ!でも涙が出てきます。
どんなに大変だった事かと!
それが愛!なのかと!、神様!あなた様の愛!なのか!と。
良きものを与えるために、どれ程あなた様が苦しまれた!のか!
愛するとは苦しむ事である!という定説はここにあります。
良きものを与えようと、お苦しみになられた!のですものね。
それは、良きものに成らせる!ためです。
お姿を与えられた!ので、あなた様のように!させた!のですね。
ほんの少し!あなた様より、ほんの少しの叡知のオコボレを頂戴!できるように成らせた!のですね。
父と子は分かり合えるように、成るようになるために!
愛をも分かり合えるように成るために!
創って与えた事のいかに大きな愛!であったかが、わかるように成るために!
苦しめ!それは、おまえを宝石のように輝かせる!であろう!と、お語りになっておられる!のですね。
苦しみは原石!それを磨けば光を放つ宝石になる!と、おっしゃられている!のですね。
『私が苦しんで発明し、創造したように、人間も苦しんで発明し、創造するがよい!
私はそのようにできるように人間の神経と脳を創った!
そして、その苦しみは喜びにかわるであろう!』

なんだか、今日、ここJに来るとき感じたセリフが出てきました!
神様!やはりあなた様はこのしもべと一緒におられるようです!
語っておられた!のですね。
このお言葉を、それをこのしもべは感じていた!のですね。
『その苦しみは喜びに変わるであろう!』と、それを理解させた!のですね、今!
その原理!は、脳に“ある”と、“あらせた”あなた様が、教えられた!のですね。
なんとすばらしい事でしょう!
神様!この事を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」と賛美申し上げます。お礼申し上げます。
失敗だらけのこのしもべを、どうぞお許しください!
まことに申し訳ございませんでした。と、涙をこぼしながら申し上げます。
そして、願わくは、お言葉通りになりますように!アーメン
お導きがありますように。アーメン
お許しがありますように。アーメン
お助けがありますように。アーメン!
1999年11月12日(金)