1999年11月3日(水)
イエス・キリストの父であられるヤーウューの神様!
ありがとうございます。
創ってくださいまして、ありがとうございます。
このしもべは、もう十年あなた様にラブレターを書き続けられたら、それで良い!もう死んでも良い!と思いました。
いつもあの世の夢を見ます。
布団をかぶって寝ている!のです。
でも、悲しい!です。
死ぬことは悲しいです。
いつまでも生きていたい!と思います。
それだけ生きている事は楽しい!からです。
神様!もし、あなた様が無限大の叡知をお使いになられ、努力して発明、発見しなかったら、けっして生きられなかった!のですものね。
生きる者!として、“存在”しなかった!のですものね。
たとえ、あり!でも、ハエ!でも、カ!でも、そして、このしもべも。
生きていたい!と思っても、生きられない運命だったらとっても悲しい!です。
これも欲!ですね。
生きていられた!から、もっと生きたい!と思う!のです。
無だったら、生きたい!とも思えない!のですね。
生きる!という言葉さえ、ない!のですものね。
欲を言っている!のですね。
生きたい!なんて、欲を言っている!のですね。
本当は無い!はず!なのです。
もし、あなた様が創ってくださらなかったら、無い!はずなのです。
このしもべも、ハエもカも、アブも、アリも。
確率も無い!です。
生きる!確率は0です。
生きる!それを欲する前に、生きている事の奇跡に気付くべき!なのですね。
もう50年生きてきました。
その事のいかにして、もたらせた!ものなのか!
生きる!という事が、いかにして“存在”したのか!を考えると、
ただただ、生きることは奇跡の“存在”なのだ!本当は無いはずのものである!と、わかる!のです。
命がある!事は無限大に奇跡な事!です。
1つのメカでも創れないものだから、1つのメカでも創られた!事は、無限大に奇跡な事!です。
それらのメカが何千も創られた!のだから、ますます奇跡はつのります。
マナの奇跡も紅海の奇跡もモーゼの奇跡も、創造の奇跡に比べたら、ものの数ではありません。
数千ものメカ達の創造は奇跡です。
数千ものメカ達の存在は奇跡です。
生きたい!と欲する前に、生きた!事に感謝申し上げます。
どれだけのメカ達が発明、発見されたのでしょう。
このしもべの中に“ある”のは、奇跡のわざ!です。
奇跡の技術!です。
奇跡の科学!です。
どれ程の科学!がこの中には“ある”のでしょう!
化学反応を1つ進めるために、特別に働くものを創られた技術!
科学的に創られた技術!
ただただ、それらによって生かされた!のです。
ただただ、それらが創られた!から、生きられた!のです。
今まで、生きられた!のです。
そのことに気付かず、そのことに涙を浮かべて、アリガトウゴザイマス!と言わず、もっと生きたい!と欲するのは欲!です。
欲張り!です。
進化により生きている!と、技術!には気付かずにのうのうと生きている!のは、無知!です。
気付いた!だけ、幸せです。
自分がこの世に生きている事は、どんな事か!
これだけのたくさんのメカ達、特異的に働くメカ達を持っている!事は、どんな事か!
持っている!事を、幸せだ!と思います。
叡知!無限大の叡知によって創られたミクロの天使!
その中に、神が一生懸命に叡知を傾けられた神の姿があるもの!
生かすために!生きるものを創ろう!と、すばらしい生きるものを創ろう!と御努力された神の姿がある!もの!
酵素さんは、自分達の事をそのように呼んで欲しい!と言いました!
けれど、このしもべは、今日、神の姿!だけではない!と思いました。
神の叡知!神の愛!であり、神そのものである!と、思った!のです。
このしもべの中に“ある”ものは、“神”である!と。
神の姿!だけではない事は理解できます。
神の汗!です。
神の努力!です。
神の血のにじむような御努力!です。
神の血のにじむような情熱!です。
もったいない!です。
神様!あなた様に流させてしまった!のですね。
汗を!血のにじむような汗!を。
それでも『私は楽しんだのだよ!』と、おっしゃられる!のですか!
それなのに、そのことに気付かない人間に腹は立たない!のですか!
『私は、ハエにもカにも、アリにも腹は立てないよ!彼らをも一生懸命に創った!のよだ。
でも、彼らはそのことに気付かない!
彼らの中にあるメカ!についても気付かない!
それでも私は腹は立たないよ。
私は君たちが人形を創って楽しむように、ロボットを創って楽しむように、楽しんでいる!のだよ』

神様!それがあなた様の愛!なのですか!
いくら努力したか、いくら働いたか、いくら血のにじむような汗をながされたか!
いくら頭のはれつしそうな叡知をお使いになられたか!
無から1つ1つ創っておられた!命を創るために!
その事に気付かずにいてもアリガトウゴザイマス!と、感謝されなくてもかまわない!のですか!
神様!それが、あなた様の愛!ですか!
父の愛!ですか!
生命を創ってあげた父の愛!ですか!
父!の愛!そうです!
父の愛!とは、そのような愛!なのですね!
生命を与えられた者!の愛!という事ですね!
生かされた者の愛!
生命を創ってあげた神の愛!ということですね。
父の愛!とは、イエス・キリストの父の愛!として、理解した!のでは理解不足!なのですね。
生命を創ってくれた神の愛!ということですね。
“存在”させてくれた神の愛!ということですね。
生かしてくれた神の愛!なのですね。
もっと生きたい!と思う時、生かしてくれた神の愛!を思うべき!なのですね。
何億年もかけて御研究されて、発明、発見されて、血の汗を流して創ってくださった神の愛!を思うべき!なのですね。
このしもべの中にはそれが“ある”のだ!と、思うべき!なのですね。
尊い神の努力の結晶が“ある”たくさん、たくさん“ある”と思うべき!なのですね!
1つの反応を完成される!ために努力された神の結晶が“ある!”と思うべきなのですね。
神はあってある者!そのある者!とは、生命の中にあるもの!ですね。
数億年の年月をお使いになられて、完成されたメカ達!ですね。
神は、あってあるものである!とは、神は生命の中にあるものである!とも理解できます。
あなた様があらせたもの!の中に、あなた様がおられる!のです!
あなた様が血のにじむような努力をはらわれて、情熱をそそがれて、お創りになられたものの中に、あなた様がおられる!のです。
あなた様のお考えや発明がある!のですね。
神様!生物の中のものにはあなた様がおられます。
スペシャリスト様!ミクロの天使様!聖なる者!
神が重要なものを創ろうと叡知を傾けている姿がその中にあるもの!
生きたメカ!は、神!です。ミクロの神!です。
生命は、ミクロの神で満ちている!のですね。
だから、変わらない!のですね。
変えない!のですね。
永遠の命!を与えた!のですね。
ミクロのメカ達に!DNAに!
なんとすばらしい事でしょう!
生物の中にはミクロの神が“いる”のですね。“おられる”のですね。
もったいない!です。おそれ多い!です。
このしもべの中に“ミクロの神!がおられることは!でも、事実!です。
神の血の汗の結晶がおられる!のです。
全ての生物の中に、神の血の汗の結晶がおられる!のです。
すばらしい!です。
こんなすばらしいもの!は、ありません。
宝石箱の宝石は動きません、働きません。
でも、このしもべの中のミクロの神は、働きます。
まるで、神の如く働きます。
どうして、特異的に働くのか、とってもフシギ!です。
不思議な働きができる!事も、まるで神の如く!です。
たくさん、たくさんあるものの中から、たった1つの特定のものだけに働く!のですから。
すばらしい秩序です。
まるで、神の如く!です。
たくさん、たくさんあるものが、関係のあるもの同志が連絡をとりあって、働いています。
とっても複雑に連絡をとりあっています。
まるで、神の如く!です。
たくさん、たくさんあるものが、とってもとっても複雑です。
解明する事さえむずかしい!です。
まるで神の如く!です。
神様!すばらしい!です。外の木は!
ミクロの神の住んでおられる木はすばらしい!です。
動物達もすばらしい!です。
ミクロの神の住んでおられる動物達はすばらしい!です。
人間もすばらしい!です。
ミクロの神の住んでおられる人間はすばらしい!です。
だからもっと生きたい!と、思うのですね!
生かされている状態がすばらしい!からです。
生きることがすばらしい!
その中に、ミクロの神がおられる!から。
神様!もう理解!としては、ミクロの神!です、メカ達は。
すばらしい働きを行うように、神に創られたものであり、
神の努力のお姿があり、神の叡知があり、神の愛情があり、
血の汗を流すような御研究で完成されたものである!からです。
神の努力の結晶である!からです。
神の叡知の結晶である!からです。
神の愛情の結晶である!からです。
神様!このしもべは生体内メカ達をミクロの神!と名付けます。
あなた様の努力や叡知や愛情の結晶!である!からです!
なんとすばらしい事でしょう。
このしもべは、のろまでとんまな生物!なのに、
このしもべの中のミクロの神は、一生懸命このしもべを生かしてくれています。
生かそう!と、働いてくれています。
ありがとうございます!と、心に涙をためて申し上げます。
あなた様の化身のような愛あるミクロの神に!
このしもべは失敗だらけの人間なのに、生かそう!と働いてくれています。
ありがとうございます!と、目に涙をうかべて申し上げます。
あなた様の化身のような愛あるミクロの神に!
『命を与える!これ程の愛があるでしょうか!』と、聖書は語ります。
正しく、ミクロの神です!
愛!です。
愛を行うもの!です。
最高の愛!を行っている!のですもの!
このしもべの中で、生物の中で、あの木々の中で、ハエやカやアリの中で、
一生懸命に働いて命を与えている!のですもの!
もし、これらのものが、仕事をしなかったら命は終わり!です。
反応は進まない!のですから。
これ程の愛を行うもの!はありません。
命を与える!ために、今も働いている!のですから。
最高の愛の実行者!です。
やはり、ミクロの神!です。
名前が偉大すぎる!でしょうか!
しょうがありません。
働きが偉大である!からです。
神の名を汚すでしょうか!
しょうがありません。
神様!あなた様にとっては、愛する子供!のようなもの!ですから!
結晶なのです!もの。
何億年も年万年もかけて、研究された努力、叡知、愛の結晶なのです!もの!
『よくぞ、その名を付けた!』と、おっしゃられておられる!ようです!
御名の賛美の時、このしもべは、このしもべを生かしてくれている“ミクロの神”の事も賛美申し上げたい!と思います。
神が努力して創ってくださった、神の努力、叡知、愛!の結晶!を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」と賛美申し上げ、お礼申し上げます。
小躍り!しなければいけませんね!
神様!ミクロの神!をいっぱい、いっぱい、いただいている!のですものね。
神、我と共にあり!と、本気で申し上げることができます!
命を与えている神、我と共にあり!と申し上げます。
もし、そのミクロの神がおられなくなった時、その時は死!です。
そして、その時になったら、ミクロの神達に、
今まで生かしてくださいましてありがとうございます!と申し上げます!
生きる間も、やはり、今生かしてくださいましてありがとうございます!と申し上げます!
そして、もっと、もっと、あなた様を教えてくださいませ!と申し上げます。
愛している!ものを愛する!ために!です。
愛してくれている!ものを愛するために知る!ため!です。
上っ面だけより知ることができません!申し訳ありません。
でも、このしもべには、その上っ面を知る事でさえ、オドロキ!であり、喜び!なのです。
ミクロの神はすばらしい!です。
きっと知れば知るほど!すばらしい!のため息!は、大きくなる!でしょう!ね。
神は愛なり!とは、神は今も“あなたを愛しています”
“ミクロの神として、今もあなたを愛しています”という事なのですね。
神は“ミクロの神”をお創りになられて、
“ミクロの神”は、あなたを愛して生かしてくれています!という事なのです。
神様!無からの創造がいかに大変なものであるかが判ります。
はっきりわかります。
人間でもそうでした。
上高森に石器が発見されました。約80万年前の人の創った石器です。
“「あらたに80万年?前の石器」70万年前より50p下層の地層から”というタイトルで、毎日新聞(11月3日)に出ています。
数pの石器です。
80万年前、人間が創ったもの!人間が創ることができたもの!
それは石器!です。
物を切断するために創ったものです。
たった、これだけの物しか創れませんでした。
脳はあった!のに、脳を使って創り得たものは石器だけ!でした。
無からの創造は、たったこれだけ!だった!のです。
いかにむずかしいか!がわかります。
無からの創造は、いかにむずかしい事である!かがわかります。
それからずーっと何十万年もあと!の事です。
土器ができた!のは。
家もそうです。穴!から、ずーっと後!です。
竪穴式住居ができた!のは。
無からの創造が、いかにむずかしい事である!かの証拠!が、石器です。
人間さえ、無い時、何かを創る!という事は、とってもむずかしかった!のです。
丸山古墳に大きな家が建てられたのは、それからずーっと、ずーっと後でした。
5000年前に建てられた!のですから。約80-0.5=79.5(万年前)
79.5万年後の事でした!
創造のむずかしさ!を教えられます。
石器より創れなかった事実から、創造のむずかしさを教えられます。
必要なものはいくらでもあった!はずです。
でも、できなかった!のです。
人間の脳でもそうです。
そうであるのに、どうして、35億年前のシアノバクテリアは自分を創った!というのでしょう!
何千もの特異反応をするメカを創れた!というのでしょう。
絶対創れません。
絶対できません。
無からの創造は、とてつもなくむずかしい事!なのですから。
人間でさえも、ずーっとずーっと約80万年間!だた石器!より創れなかった!のですから!
石器は物語ります。
「人間が創れたのは私だけ!でした。
皮をはぎ切るために、動物をころすために、料理をするために、私だけ!が創られた!のです。
どうしてでしょう!
どうして、創れなかった!のでしょう。
たくさんの話しをし、楽しんでいた!のに、創る事はできなかった!のです。
発明はできなかった!のです。
どうしてでしょう!
発明とは、それだけむずかしい事!なのですね。
新しい物を創る!とは、それだけむずかしい事!なのですね。
マッチのようなもの!も、必要だった!のです。
でも、マッチはできませんでした。
鉄ガマのようなナベも必要でした!
でも、ナベはできませんでした!
食べること!に必要なものでさえ、何十万年間もの間できませんでした。
人間が存在してから約350万年間!もの間、なにも創れませんでした。
創ることはそれ程むずかしい事!だった!のです。
何も無い時代には、それ程難しかった!のです。
けっして、人間は満足していた!のではありません。
ただ、できなかった!のです。
創ることができなかった!のです。
長〜い、長〜い間、創ることができなかった!のです。
人間は自分の中には叡知満ちるメカ!を持っている!のに、メカらしいものは、何も創れなかった!のです。
そんな人間が、どうして自分自身を進化させた!というのでしょう!
言葉を創る事を猿ができた!というのでしょうか。
まっすぐ立って歩く足と腰の骨を猿は創った!というのでしょうか!
DNAを変えることができた!というのでしょうか。
350万年間もの間、ナベも創れなかった人間が、どうして、自分自身を変えることができた!のでしょう!
人間が機械を創れるようになった!のは、つい最近の事です。
それでも、自分のDNAは変えられない!のです。
それなのに、私を創っただけの人間が、どうしてDNAを変えて進化することができた!というのでしょう!
私をさえ創れなかった人間がどうして背骨をまっぐにして腰を立てて、足をまっすぐに歩くような骨と筋肉を創り上げた!というのでしょう。DNAを変えた!というのでしょう!」
イエスの御名によってアーメン!
1999年11月3日(水)