1999年8月5日
神様!あなた様だけ!です。
創る事ができた!のは。
元素!や分子!にまでわがままが言える!のですものね!

『入ってきても良い!でも、決して出るなよ!』とか、
『出るだけ!である。でも、決して入るなよ!』と、
わがままな事を言える!のは。

主権者!だけです!
元素や分子の主権者!だけ!です。
主権者!こそ、創ったもの!
存在させたもの!です。

一番よく知っている者!だけ!です。
創ったが故に、一番よく知っている者!だけです。

“膜”を創れる!のは、
“わがままな膜”を創れるのは、
“王様の膜”を創れる!のは。

“存在”こそが語ります。
存在させられた事を語ります。

「わたしは、御存知のように、とってもわがままなもの!です。
わたしの精神!まで、わがままである!と、
そのように思われた!かもしれませんね。
でも、ちがいます。
わたしは、とっても柔従なものです。
ただ、わたしが、わがままな行為ができる!のは、
わたしをそのように創って下さった方の御意志!なのです。
ぜひ、わたしを“存在させよう!”と、お考えになられた!のです。
光合成を行うものを創ってあげよう!とお考えになられた!のです。

そのお方様は、なんでも御自身の意のままに、
できるお方様!であられた!のです、

それで、そのようにお考えになられた!のです。
意のままに成るもの!は、
神御自身のお考え!にあった!のです。

本来、人間なら、ダメだ!とあきらめてしまう事も、
神の前では通用しない!のです。
あきらめる事はできない!のです。
あきらめる事は、神の前では、不要な事!

『余の辞書には、ない言葉である!』のです。
ナポレオンの名セリフ!ではない!のです。

それは、神様の御言葉!です。
『不可能という言葉はない!』のです。
だからこそ、わたし達はできました!
存在できました!

不可能だらけの事!が、可能にされている事実!が
わたし達の中にはあります。

通れるはず!なのに通れない!
でも、出る事はできる!
そして、その反対!

理論的ではないでしょ!
一方通行!の膜!なのですものね!

それは、とってもわがままな行為を行っている!ようでしょ!

ただ、ブドウ糖を作るために
そのような仕事を行うために、
意識的に行われている!ようでしょ。

自分の仕事のために、自分勝手な事をしている!ようでしょ!
でも、それは違います。
わたし達はメカ!です。
自分勝手に行動できません。
自分は、自分であって、自分ではない!のです。
それは、あなたもそうです。自分であって自分ではない!もの!なのです。
あなたは、自分は自分である!と思っている!でしょ。
でも、あなたもわたしと同じです。
自分であって、自分でない!のです。

“卓越させるメカ!叡知の集合体!である葉緑体!”と、
あなたはおっしゃられましたが、

あなたも同じ!です。
あなたも“卓越せるメカ!叡知の集合体!”です。
そして、わたしが持っているわがまま!を
あなたも持っている!のです。

それは共に創られた!もの!です。

わがままを通す事のできる王様!によって創られた!ものです。

もし、わがままを通せる王様!がおられなかったら、
わたしも存在できませんでした!
あなたも存在できませんでした!
それは、たくさんたくさんある!のです。

わがままを行うメカ!は、たくさんたくさんある!のです。
あなたの中に、そして、私の中に!

そのわがままなメカ!こそ、“存在”させられた!のです。

わがままが言える王様に!

無理を通してしまう王様!に!」

なんと大いなる事!でしょう!
創造の原点!は、心!
王様の心!だ!というのです。

まいってしまいます。
まさか、ここにたどり着く!とは思ってもいませんでした。

葉は、このしもべと同じだ!と自分を語る!のです。

優越を誇っているこのしもべは、葉と同じだ!と
言われてしまいました!
そうです!
本当はそうです!
このしもべは、葉と同じ!です。

神は、はからずも、おっしゃっておられます。
『あす 枯れてしまう花のようである!
人は全て花のようだ!』と。

神から見たら、そうです、一時のようですものね。
人間の生きる時間は。
そして、同じ!ですものね、
DNA!で創られた!ですものね!

人間は人間である!
でも、自分の意志によって自分はできた!のではない!のですものね。
DNAによって自分はできた!し、存在した!のですものね。
それも、自分の意志で、自分は自分を作った!と申せません。
この葉!と同じです。
udd、dduの三つ葉!とおなじ!です。
ああ、そうしますと、
uddとdduも同じ!ですね。
このしもべと。

輪ができてしまいました!
“三つ葉とクオークと、このしもべのわ!”です。
“植物と素粒子と動物のわ”です!友!のわ!です。
手と手をつないでいます。
なかよしのわ!です。
共に創られたものの手が結ばれています。

手をとりあって、賛美する仲間入りをさせていただこう!かしら。
天使様たちの中に入って!
「ホサナ!」の声高らかに!

創られて“ある”事を賛美して!
自分達の中に“ある”王の心”を持つ
わがままを通しているメカ!を賛美して!

なんとすばらしい事でしょう!

“心”がなかったら、“ある”事もなかった!のですね。
たとえ、葉、一枚の葉でさえ!

“王の心”がなかったら、“ある”事がなかった!のですね。

必ず成らせてしまう!心!と、
絶対服従させてしまう!心!と、
そのうえ、それを成らせてしまう叡知!がなかったら!
“ある”事ができなかった!のですね!

絶対命令!と、
その命令をかなえてしまう叡知!です。

敬服!するのは、あたりまえ!です。
葉の叡知集団に敬服!する!のは、あたりまえです。
王様!の心!が、そこにはあった!のですものね!

神の心!がそこにはあった!のですものね。

葉を見たら、王の心!神の心!が見えた!のですね。

太い血管と、細い血管の中に編まれた叡知の集団に!

創ったものの心!が見え隠れしていた!のですね。
それをひっぱって、取り出してみたら、
それは、創った神の心!であった!のですね。

わがままな意志を持つメカ!は、
わがままな、なんでもかなえてしまう!“心”
で創られた!もの!であった!のですね。

絶対命令も、かなえられるはず!である!
とお考えになられるから、出していた!のですね。

かなえられるはず!であるという計算も、
ご自分の中ではできていた!のですね。

ご自分の叡知が、それをはじき出していた!のですね!
神様!あなた様にとしましては、もう、その時できていた!のです。

あなた様にとりましては、無理な事でもなければ
できない命令でもなかった!のですね。

“膜”“わがままな膜”は、そうしてできた!のですね。

神様!このしもべは、“生体内膜を、神のわがままな
心が創った膜”である!と申し上げます。

“元素や分子や有機体を自由に操る事ができる!
神の創られた膜”と申し上げます。

それらの膜を、どうしてDNAで創る!のでしょう。

ますます謎が深くなります。
その謎が深い程、感動!は大きくなります!

拍手は高くなります。
「ホサナ!」の大合唱も、きっと大空高く、天国に届く!でしょう。
だって、素粒子も加わった!のですから。
この大合唱のわの中には!
届かせてしまいたい!です。
届くはず!です。
そこには必ず素粒子は“ある”はずですもの!
大陸のようなどっしりとした雲の中にも、
その上の、いつでも快晴である大気圏の中にも、大宇宙の中にも。

だから、必ず届くはず!です。
「アイラブユー!」の「ホサナ!」のしらべが、
ここの音楽!にのせて!

素粒子達に運ばせてしまいます。
葉とこのしもべの「アイラブユー!」の「ホサナ!」と
「ダンケシェン、シェンシェン、サンキュー」の声と、
人と木と動物達の声を!

“わ”は、地球をぐるり!と何回転!もします。
だから、いつでも、声!は届きます。
離陸させてただいたおかげ!です。
そして、海の生物!も「アリガトウゴザイマス!」と申し上げます。
水中から、中には水中では満足せず、クジラやイルカやトビウオ!のように、
与えられた!ので、与えられた故にそれを感謝して、
水中から飛び跳ねて、喜びを表している!ものもいます。
感謝と感激を体で表現している!のです!

海に居るものの代表者!のようです。
少しでも神に近づこう!
神に見られて喜ばれよう!としています!

神様!“わ”は有ります!
見えなくても有ります。

感謝する心!は有ります。

創られた!と思えなくても、
感謝する心!は持っています。

生きている!事に感謝する心!です。

自分で自分を“存在”させよう!と思った!のではない!のに、生きている!
この生きている事に感謝しています!

神様!昨日の雨は、千金に価する雨!でした!
梅雨明け後、雨が降らなかった!のです。
このしもべも、庭の木や花に、ホースで水をあげていました。
雨がほしかった!のです。
乾ききっていました!
そこに、夜降ったのです!
「アリガトウゴザイマス!」の声は、植物達から上がった!でしょう!
きっと、その声が届いた!はず!です。
ここ公園の木々も「アリガトウゴザイマス!」と言っています。
感謝!は有ります。
その声は、あの雲を通り抜けて、上に伝わっていきます!
なにせ、電磁波!なのですから。
どこでも通り抜けます。
きっと、
神様!あなた様の所に、昨日の雨の感謝の声は届いている事でしょう!アーメン。

“DNAの存在”を知った今、
人間は、そのDNAを存在させた叡知!
無限大の叡知!
この上の叡知は無い、最高の叡知!に
「アリガトウゴザイマス!」と申し上げます。
「創って下さって、アリガトウゴザイマス!」と申し上げます。

乾ききらない状態!
何不足ない状態!を感謝申し上げます。

必要なものが全て与えられている状態を感謝申し上げます。

無い時には無い!と、不満の声は上がる!でしょう。
でも、満ち足りている時こそ!申し上げたい!です。
“あらせて下さって、アリガトウゴザイマス!
全てのものを、何不足なく与えて下さいまして、
アリガトウゴザイマス!」

「NK細胞まで!あらせて下さいまして、アリガトウゴザイマス!」と。
そして、付け加えます。
「人間の、どのようにすぐれた叡知にも、NK細胞は創れません。
原猿が創れる!はずはありません!絶対ありません。」と
まして、「ミミズが、リンパ液は創れません!
それらのメカを創るDNAは絶対創れません!」と。

絶対という言葉が、正にこの事を表すために“存在”しているように!

絶対!に力を込めて、申し上げます。アーメン。

絶対服従!も
神様!あなた様!です。

絶対服従させている!のは、あなた様!です。

絶対服従のお考えも、あなた様のお考えです!

それ以外の考えからは、絶対!生まれません!
このしもべは、「服従しなさい!」とは言えません。
子供にさえ言えません。
でも、王様は言えます。
「わたしに服従しなさい!」と家来に言います。
ただ言うだけではありません。
命令する!のです。

絶対服従させる事!
そのお考えが創られた!のです。
そのお考えを持つ事のできるお方様が創られた!のです。

絶対服従するするものを!

なんとすばらしい事!でしょう!

絶対服従させるもの!が創られた!という事は、
なんとすばらしい事でしょう!

このしもべだったら、「ね!お願い、〜してくれないかしら!」と、
子供にさえ言うのです。
そうしたら、子供は、「いやだよ!」と言えばそれまでです。

でも、さすが!です。
絶対命令!を出した!のです。
そして、絶対服従!をしいて行わせた!のです。
そこには、ボクハイヤダとか、ワタシハデキナイとか言わせない!のですから。

すばらしい!です。

行う方も、「ハイ、カシコマリマシタ!」だけ!です。
それを行う!のです。

はたして、絶対命令!は、この世に存在する!のでしょうか!
自由なこの世界!では、なかなか存在しません。

たとえ、王様にでも、“NO”と言える時代!です。

でも、存在!する!のです。
DNAには!

決して“NO”と言えない世界!です。
絶対服従!の世界!です。

神様!この世界を創られた!のは、あなた様!です。
いつでも行われている事を行わせた!だけ!です。
それは常識です。
あなた様にとりましては、常識です!
その行動は、いつも見慣れている光景!です。
それをあなた様は、普通の事!として、創造の中にも
とり入れられた!のです。

絶対者!だけができる事!です。
絶対者!だけの特権!です。
絶対者!だけの普通の事!常識!です。

神様!なんとすばらしい事でしょう!

絶対命令!
絶対服従!のなんてすばらしい事でしょう!
それが“存在”する事のなんてすばらしい事でしょう!
この事を「ホサナ!」「ナンテスバラシイコトデショウ!」
「アリガトウゴザイマス!」と賛美申し上げ、お礼申し上げます。

まるで王様!の世界!です。

王様!と私!だったら、ロマンスの自由!もある!のですか。

この世界に“ある”のは、王様!だけ!です。
命令と絶対服従!の世界!です。
イエスの御名によって、アーメン。