1999年7月21日(水)
イエス・キリストの父上であられるヤーウューの神様!
あなた様を賛美申し上げます。
創造を通して、あなた様が見えます。
今日、ここに来る時、白い花!小さな白い花!を、見ました。
とっても香りが良かった!です。
揚羽蝶が来ました。
葉もとてもすばらしい型のものが有りました。中央の葉の型が、イスラム寺院の塔のような型なのです。
左右の葉は、葉の葉脈まで対称!なのですね!
神様!まるで、クオークのようです。
uud、dduのような、クオークのようです。
2つが同じもの!で、1つが別のもの!なのです。
神様!あなた様は『どうしてそう感じるのかね』と、おっしゃられる!でしょうね!
だって、ここは素粒子の里!なのですもの。
葉にもクオークが現れている!のです。
やはり、一番初めにお創りになられたクオーク!は、思い出深い!のですね。
葉にたくさん、再現されておられます。
クローバーやこのしもべの玄関に摘んでも摘んでも生えてくる小さな黄色の花をつける葉!も、3つ葉!なのです。
きっと、捜したら、たくさんたくさん有る!のでしょうね。

神様!ここに来る広場は若緑!の競演!でした。
たくさんのDNAが我も我も!と、競いながら生えてきている!のです。
これは、緑の葉の交響曲です。
見ている!だけで音が聞こえてくる!のです。
葉のまっすぐに尖った単子葉植物の音は、バイオリンのような細い高い音!です。
丸い葉は、バスーンのような広い低音!です。
それらが、一面に広がって演奏している!のです。
やわらかな音!です。
緑の音!です。
気分までやわらげ、疲れた目を癒やしてくれる緑!の交響曲!です。
確かに奏でています。歓喜の歌を!
だって、満足!しているのですもの。
多量の水を得て、土がそれを貯金していて、光もほどよく照らしてくれている!のですから。
日枯れの心配!もありません。
後は楽しむ!だけ!です。成長を。
そんなゆとりが奏でる曲!です。
青春の歌!です。
もしかしたら、曲はDNAの中に組み込まれている!のかもしれません。
声や音!の響き!もDNAに組み込まれている!ようです。
細く高いバイオリンのような音や、太く高いトランペットのような音や、葉にそれぞれの顔!が有るように、葉の声にもそれぞれの音!を持っている!のです。
今、塔の有る緑の地!は、緑の交響曲を奏でています!
それを見て、もしこのしもべが音楽家!だったら、交響曲を作曲します。
それぞれの葉に楽器を持たせて!
“平安”の曲を作曲します!
だって、奏でている!のですもの。
葉がそれぞれのパートを受けもって、ゆらぎ!があったら、もう曲!は、生まれています。
低周波の曲!は“ある”のです。
それは、緑の葉だけに判る音!です。
それを拡大!したら、もう聞こえてきます。大演奏!が。
そこに居ると、聞こえてきます。平和!の歓喜が!
生きる!歓喜が!
生きた!歓喜が!
やっと生きた!歓喜が!
土だった所!緑の破片もなかった土に、生きよう!と、願った!のに、切られてしまった無念の失望!が、やっとかなえられた葉達には、“ある”のです。やっと生きた歓喜が。
それを、からだいっぱいに現しています。
今こそ生きられた!ので“ある!”と。
“ある”事の幸せ!生きる事の幸せ!を、今一番良く知っている!のは、葉達!です。
若葉達!です。
だから、喜びに満ちています。
だから、聞こえてきます。
大交響曲!が!
あなた様がDNAに組み込んでおられる歓喜の曲!が、静かに聞こう!とする耳!には、聞こえてくる!のです!心の耳に!

神様!霊体!は、進化したもの!なのかしら。
昨日のラブレターが気になります。
進化したもの!というと、語弊があります。
あくまで、実際に見えないもの!です。
でも有る!もの!です。
軽いから物理的に飛ぶこともできるし、水の上を歩くこともできるし、歩く事もできる!のです。
そうです。物理的にできる!もの!です。
それが、このしもべも辿り着く死後の世界!なのですね!
見えないから虚体!
数字で現したら虚数!なんて言ったらおかしい!かしら!
虚数!には、虚数の世界がある!ように、霊体!にも霊体!の世界!がある!のですね。
それが、この世との関係の時は、2乗された時!なのかもしれませんね!
きっと、神様は霊界と実在の世界!との関係を公式を創っておられる!のかもしれませんね!
それが、霊界からの甦り!仏教で言う輪廻転生!という事!なのかもしれませんね。
2乗してマイナスに成る!のは、マイナスは胎児!という事かしら!よくわかりません。
でも、実数に変わる!のです!いつか!は。
それは生まれてきた時かしら。

神様!7月19日、昼寝をしていました。
そうしたら、霊がこのしもべの所に来ました。
このしもべは、その霊がオバアチャンのようなので、イヤだ!と戦いました。
その霊は、夢でも顔は見えません。まるでフウセン!のようです。
こっちをたたいたら、その部分はクニャリひっこみ!ます。
まるで、フウセン!のようです。
でも、へっこんだ所はすぐ元通りになります。
フウセンならば、割れます。でも霊体は割れません。
霊体って見えない!ので、虚体だわ!と、思いました。
そして、数字にすると虚数!なのかしら!と、思いました。
ここでは見えないが、わかりあえる所がある!のですね。
それが、霊界!なのですね。
全てのものが同じ!であるから、それは感じあえるし、見える!のですね!
勿論!見える目!も、神様!あなた様はお創りになられた!のです!
霊体が見える目!です。
霊体は、この世界!も見える!という!のですから、その霊体の見える目は、本当にすばらしい!です。
この事を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」と賛美申し上げます。お礼申し上げます。
見える!という事は、すばらしい事!です。
たとえ死後!見えたら幸せ!です。
子供の顔や友の顔!を見えたら幸せ!です。
今から、お礼申し上げておきます。
死後!も、お礼申し上げる事ができますように。アーメン
そう、虚数!である!と、理解!したらわかりやすい!ですよね!
ビッグバン以前も虚数の世界!だ!と、申します。
それでは、このしもべは死後は虚数!の世界!である!と、申し上げます。
実体!が無い!ように感じられます。
実際はある!のかもしれません。
とってもとっても軽い状態である!のかもしれません。
でも、見えません!ので、世界が違う!と思う!のです。
数字で世界の違う数字は虚数!というわけです。
ビッグバンの以前!だって、実際は“ある!”のです。
でも、目に見えない!ので虚数!というわけ!です。
でも、2乗!の世界!かもしれませんね。
E=mc2の世界!かもしれませんね。
2乗!で、実数!に成る!のかもしれませんね。
光速の2乗!で、出来上がった!のかもしれませんね。実数!は!
それは、マイナス!ではなく、マイナス!から、すぐ+に変化する!のかもしれませんね。
それだったら、虚数!にしなくっても良い!のですけれど!
ただ、2乗の世界!で良い!はず!です。
でも、実体として、理解できない人間の知性が虚数!に置き換えている!のかもしれませんね。
このしもべも、確かにそうです。
霊体!は、虚数なんかじゃありません。
見えない実数!なのです。
戦った!のですものね。
手応えはあった!のですものね!
でも、住む世界が違います!
これは、虚数!の世界!のように、全く区別されている!ようです。
でも、地球のとこか!空のどこか!です。
これでは、実数の空間のどこか!である!わけです。
やはり、実数!です。
霊体は実数!です。
虚数なんて、かわいそう!です。
母や父!は、かわいそうです。
いずれ、このしもべは、かわいそうな身!に成る!のです。
ですから、閉ざされた空間は嫌!です。
開かれた空間でよい!はずです。
霊体は、お盆には帰ってくる!のですもの!
たとえ、住む所が違っても会える空間!です。
この地球のどこかの空間!です。
虚数!だったら、閉ざされた空間で、2乗に成った時のみ、実数に成れる。
それもマイナスの実数!に成れる!のですもの!無関係の係数!に成ってしまう!のですもの!
嫌!です。
でも、なんと似ている!事でしょう!
小川が分離している、この世界とあの世!は。実数と虚数!に。
悪いのは先生!です。
このしもべに、虚数を教えてくれた先生!です。
虚数というフシギな数を教えてくれた先生!です。
どんなものか!手にとって調べる事もできないものを!まるで、マジシャン!のように、「ほら、有るだろう!虚数だよ!2乗したら、見える実数!に成る!のだよ。しかも、マイナス!という実数!に成る!のだよ!」と。
マイナスの実数!だって、お金の計算より理解できないこのしもべに、マイナスの実数!に成るもの!を教えた!のですから。
使ってみたくなります。
果たしてどんな!もの!かしら!と。
クオークまで見てしまったこのしもべは、虚数!をも見える対称!と、してしまう!のです!
今度、霊体に会ったら、戦う前に「あなたって虚体!なの!2乗したらマイナスの実体に成るの!」と、聞いてみなければいけません!
果たして、できる!でしょうか!
それを問うだけの理性はある!でしょうか!夢の中で!

“NO”と言っている!ようです。
あくまで、このしもべの思い!です。
いつでも、このしもべは思い!で、ラブレターを書いています。
やはり虚体!ではない!し、虚数!でもない!のですね!
ああ!よかったわ!
このしもべも隔離された、とざされた別世界!は、嫌です。
すぐ近く!です。閉ざされてはいません。
川を渡ったら、すぐそこ!ですものね!開かれた世界!です。
霊体と実体とは、ちょっと違うだけ!
無駄なものがなにもないもの!と、肉体のもの!の違いだけ!ですね。
このしもべにも、ひょっとしたら“NO”と答えた霊体!が、お供!している!かもしれません!
お友達!です。
このしもべも、霊体と肉体を一緒に持っている!のですね!
分離されずに居る!ただ、それだけの話し!です!
分離されたら、霊体!と成る!のですね!
これも御旨!のままに成っている!のですよね!
肉体をDNAでお創りになられましたあなた様は、霊体をもDNAでお創りになっておられる!のですよね!
目に見えない霊体!を。
なる程!
分離体!である!とするなら、よくわかります!
肉体と霊体が一緒に居る時は、生きている実体!
霊体だけに成ったもの!は、霊体!
共にDNAによって、創られたもの!です。

霊体!からすれば、肉体は仮の宿!というわけです。
蝶がサナギの中に居るようなものだ!というわけです。
でも、蝶はサナギの中で創られます。
DNAで創られます。
そうしますと、霊体もDNAで創られる!というわけですね!
そうしますと、このしもべも今、一生懸命霊体を育てている!というわけ!ですね。肉体の中で!
なんとすばらしい事でしょう!
肉体!こそは、親!なのですね。
生みの親!なのですね。
霊体を生み出す親!なのですね!
霊体を育てる親!なのですね。
せいぜい、親!の役目を果たさなければ!
霊体!を育てなければ!
すばらしい、美しい、揚羽蝶!に成るように、霊体!を育てなければいけません。
食べ物を食べて、桑の葉を食べて、マユを育てる!ように。
霊体!
いつまでも生きる霊体!
美しい霊体!、やさしい霊体!を育てましょう!
この肉体!と、共に!共存させて!

虚数ではありません。実数!です。
共に“ある”のです。
共に生きています!
肉体と霊体!は。
芝生を見て、緑の木を見て、白い雲と青い空を見て!
実際に今“ある”のです。霊体!は。このしもべの中に。
それは、肉体も実体であり、霊体も実体!です。
実体だから“ある”事ができます。
もし、霊体が虚数である!なら、“ある”事はできません。
自らの思いで、自らの志で“ある”事はできません。
虚が一番嫌いなもの!それは、“ある”事なのですものね。
虚の一番苦手なもの!それは、“ある”事なのですものね。
虚は、実である事はできない!のです。
どうしてもできない!のです。
たとえ、奇遇に2乗!に成った!としても、それは、マイナスの実体!にしかなれない!のですもの!
マイナスの実体!って、実在しませんものね!
実際、誰がマイナスの実体!を見た者がある!のでしょうか!
おさつ!でもマイナスのお金は消えて、見えないもの!なのですものね!
神様!今日は、霊体は実体である。目に見えない実体である!と、理解しました!
それでよろしい!でしょうか!
このお祈り、イエス・キリストの御名によって、アーメン!
1999年7月21日(水)