1999年6月5日
イエス・キリストの父上であられるヤーウェーの神様!
あなた様を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデショウ!」
「アリガトウゴザイマス!」と賛美申しあげ、感謝申し上げます。
今日はパパと、玉川温泉へ行ってきます。
2宿3日の旅です。
このすばらしい時空の中で、すばらしいラブレターが
書けますように!アーメン。

神様!あなた様が『あってある者』と、
御自分をお語りになられ、
その次に、『わたしはある』と言う者!と、
おっしやられました!

神様!あなた様は、御自分をどのように
現わしたらよいか!をお考えになられた!
のですね。
それが『あってある者』というより、
むしろ
『ある』と言った方が適確である!
とお考えになられた!のですね。

その辺を見わたして、お考えになられ
た!のですね。

『あってある者!』とは、あるように成らせた
もの!というようにも受けとめられます。

あるもの全て!というようにも受けとめられます。
でも、
あなた様はその表現では、不適格である。
もっと、確実な、正しい表現方法がある!
とお考えになられた!
のです。
それは、
存在!という意味の ある!という言葉です。

“そこにも、あそこにも、ここにも、ある!
それが、
御自分である!”と、
あなた様はおっしゃられた!のです。
考えた!のではなく、現実をただ適確に
表現された!だけです。

それで、はっきり、“ある”とおっしゃられた!
のですね。

わたしはある!である!と。

わたしは存在!である!と。

だれが、このような言葉を言えるでしょう!
これは思いつきの言葉!でしょうか!
御自分を表現するのに一番正しい表現!
をした!だけの事です。

『存在!は自分だ!』とおっしゃられた!
のです。
それなら、あそこにある草も、あそこにある石も
“ある”ものであるから、
神は、草や石!ではないか!と、
モーセは一瞬思った!かもしれません。

でも、
モーセは、ただその御言葉を受け入れ
た!のです、

神は、存在!である!と。
その時、モーセは、天地創造としての神!を
心に想った!かもしれません。

“わたしはある”である。

なんと正確な、なんと精密な表現でしょう!
神は全ての中にある!のです。
全ては神である!のです。

神様!もったいのうございます!
こんなはしためが、神!であるはずは
ございません。
でも、
あえて、あなた様は、このしもべでもある!
と、おっしゃられる!のですか。

この電車である!とおっしゃられる!のですか!

ああ、DNAでさえ、もったいない!
このしもべにはふさわしくないものである!
と思った!のに。
今、又、与えられてしまいました!

神という存在!を、
このしもべに、そして、このゆりかごである電車に!

神様!このしもべは今、電車にゆられています。

まるでニュートリノ!になった!ようです。
リクライニングシートに背もたれし、
外を見ていると、
このしもべは、重力にまったく無関係に飛ぶ
ニュートリノ!になってしまいます!

地球と水平に飛ぶ、ニュートリノ!なんて、たのしい世界!
でしょう!
めずらしいニュートリノ!です。

ニュートリノには質量が有る
しかし、光子には質量が無い!

E=mc2
エネルギーの有るものには質量が有る!のですよね。
光子!にはエネルギーが有ります!よね。

それなら、光子には質量が有る!はずです。
だって、
質量が0であるなら、
E=O×C2
光のエネルギーは0になってしまう!はずです!
この点!がこのしもべにはわかりません。
しばらく、ニュートリノ!に成ります。

とっても重い!ニュートリノ!なので、
速さもおそい!のです。

神様!速さ!と質量には大いなる関係!
がある!のではないでしょうか!

陽子は重い!ので、速く飛べない
陽子は拘束されているので速く飛べない。

陽子はたくさん、たくさん、たくさん超微粒子
が存在している!ので、
それらが、互いに拘束しあっている!
のではないでしょうか。

でも、
光子やニュートリノや電子は
超微粒子は少し、
だから、
自由!なのです。

きっと、そうです!

自由!が飛ばせている!のです!
自由!が推進力!なのです。

このしもべだって、自由!だから、飛んで遊べます。
周囲に目が多ければ、拘束されます。
おばあちゃん一人が居ただけで拘束されました!
人間はある意味では拘束しあうもの!なのかもしれません。
そして、
超微粒子は、正に地球のような重力!を
つくっている!のかもしれません。

超微粒子が、たくさん、たくさん集まると、
そこに重力!が起る!のです。
それが、
自由を拘束する力!と成る!のです!

きっと、そうです。
陽子や中間子は、
たくさん、たくさん超微粒子が集まっていて、
拘束している!のです。
重力を創って拘束している!のです。

本来超微粒子は自由なもの、飛びまわるもの!
でも、
たくさん、たくさん集まると、重力が働き、拘束される!

きっと、そのようなもの!なのかもしれませんね!

ニュートリノは今自由!を楽しみます。


神様!ダイヤモンドはCでできています。
木炭もCでできています。
そのちがいは、
ダイヤモンドはCが整然と並んでいて、
ギッシリつまって、密度が高く成っている!という事
です。

重さ!がCをダイヤモンド!にさせた!のです。
ギッシリつまった、整然と並ぶCを作った!のです。

神様!重さ!が、超微粒子に、
エネルギーを閉じ込めた!のですね。

ビッグバンの前の超巨大ブラックホール!
そこは、無限大のエネルギーと
無限大の重さ!があった!
のです。
それで、
その無限大の重さ!が超微粒子
の中にエネルギーを閉じ込めた!のです!

きっと、そうです。

無限大の重さ!は、超微粒子の集まり!
でもある!わけですから、

無限大の重さと、無限大のエネルギーは
お互いに協力しあって、
均一なものを創るように働いた!のかも
しれませんね!
同じ質量には同じエネルギーが含まれている!
とは、そのような事!です。

無限大の質量は、
無限大のエネルギーを等分に持ち合った!という事!です。

湖の水位が同じであるように、

超ブラックホールのエネルギーも全ての所に於
均一であった!という事です。

だからこそ、E=mc2の公式ができる!のですよね!

ダイヤモンドが、重さと熱によってできた!ように
超微粒子は、無限大の重さと、無限大のエネルギーで
できた!のです!

まるで、
超微粒子は、ダイヤモンド!のよう!ですね!

神様!このしもべはまだわかりません。
光子の質量が0である事が、
光子は質量が0の電磁波!なのですって、
それなのに、どうして、エネルギーが有る!のでしょうね。

E=mc2
のmが0なのに・・・

このしもべは光子は、超微粒子である!と
思いたい!のです。
自由なる超微粒子!である!と思いたい!のです!
神様!どちらにも閉じ込められた!のですよね!
DNAにも、素粒子!にも、
その働きを!

『Yes!』とあなた様はおっしゃって下さる!
ようです!

DNAには、閉じ込められました。
必ず〜をする働きを行うメカ!を創るメカ!を
そして、
素粒子にも閉じ込められました。
必ず〜をする働きを行うメカを。

神様!あなた様は閉じ込められた!のです。
だって、
その働きは必っして、変らないように!創った!
のですもの。
働きを閉じ込めた!と理解!して
よいでしょ!

DNAのクロロフィールを創る部分は、閉じ込め
られた!のです。
DNAの中に。

決してそれを解体!したり、
変型させたり!する事のできない!ように!

正に、
神様!の創造は働きを閉じこめる!
という事!ですね!
DNAの創造の時もそうでした。
そして、
素粒子の創造の時!もそうでした!
正しく、
働きを閉じこめられて、完成!された!のです。

『これで働きを閉じこめた!
部品の完成である!』と、
あなた様は、おっしゃられた!にちがいありません。

DNAの創造の時は、ものすごく多い数!の
部品!を最初から、お創りになられた!
のです。
そうでなければ、シアノバクテリア1個だって、
存在できません!ものね。
部品の数は、何千個ですか!
何万個ですか!

でも、
素粒子の場合は、そんな多くの部品は、
必要ではなかった!のですね。

あなた様は必要でない!と、
お決めになられた!のです。

あなた様の断定!が、決定!に
なる!のですから!

最小限の部品!になされた!
のですね!
その事はよく理解!できます。
だって、
生物をお創りになられました時も、
生物の元素とも言うべきものを
たった、A-T、G-C、リボースリン酸!
だけ!に断定!された!のですものね!

ですから、
原子という生き物!を創る時にも、
最小限のもの!だけ!に断定
された!
と申し上げます。

最小限のもの!である、
ある働きを行う部品!をお創りに
なられた!のです。

ある働き!を、その部品の中に閉じ込めて
お創りになられた!のです。

それが素粒子!です。

超巨大ブラックホール=素粒子製造工場!
の中で、
ある働き!をその部品の中に閉じ込めた!
のです!

それが素粒子の創造!です。


ある働き!は、超微粒子を束にする事に
よってできた!と申し上げます。

その束が小さいものが光子、ニュートリノ、
電子、

その束が大きなものが、陽子、中性子、
中間子!というわけ!です。

クオークとは、
もしかしたら、
その超微粒子の束!を、
ダイヤモンド!のように、
もっと、ギュ、ギュ、ギュと、重さと熱で
圧縮した!もの!なのかもしれませんね!

このしもべはわかりません!
エネルギーの単位がちがう!わけ!です。
エネルギーの単位が、すこぶる大きなもの!なのかもしれませんね!
いかがでしょう!
このしもべは、このように考えました!
誤っていたら、ゴメンナサイ!アーメン。

でも、エネルギーの変換!を行うためには、
同じ単位のエネルギーでないと、具合がわるい!
のではないでしょうか!

そうでないと、エネルギーの変換は交換ではなく、爆発になって
しまいます!ものね。
似たもの同志の変換!というわけですね!
イエスの御名によってアーメン!