1999年5月20日(木)
イエス・キリストの父上であられるヤーウェーの神様!
あなた様を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデショウ!」
「アリガトウゴザイマス!」と賛美申上げ、お礼申上ます。
全て神様の御心のままに成ますように!アーメン。

神様!今日はKからラブレターをお出申上ます。
昨日薬局で書いた事を基にお出申上ます。

神様!このしもべは今まで、キリスト様の償を、
生きている間の罪のゆるしとして、思っていました。
でも、そうではなかった!のですね。
人間は死んだあと!にも生きる!といいます。
霊体となって生きる!といいます。
そして、裁きに合う!といいます。
その事のため!であった!のですね。
きっと、そうです。
その時のため!です。
裁きに合う時のため!です。
裁きは有罪か無罪か!という事ですものね。
罪が問題に成る!のは、
裁きの時!ですものね。
大いなるかな!です。

あなた様は裁きの時のため、
罪の償い!を御計画された!のですね。
だから、
キリスト様は『これからわたしは部屋を用意するために天に昇る。あなた達の住む部屋!である』とおっしゃられた!のですね。
罪を償われた者は無罪と成り、天国に住めるように成る!のですね。

なんと大いなる償!であった事でしょう!
それは裁きの時!に有効!なのですね。
だから、
イエス様は無罪と成った者が住める場所、家!を御用意されに昇られた!のですね。

『わたしの地上での仕事は終わった!
これから、わたしの民のため、住む場所を用意しよう!』
と、お考えになられた!のですね。

霊体と成ってから時間は長い!といいます。
だって、
霊魂は永遠に生きる!といいますものね。

神様!あなた様は霊である!といいます。
ですから、
あなた様は人間の霊!についてもお考えになられた!のですね!
そして、裁きに合い、暗やみに住む人間の霊体!を、きのどく!にお思いになられた!のですね。
だから、
償い!を考え出された!のですね。
発見!された!のですね。

神様!このしもべは申し上げます。
神様は償いという事を発見された!のである!と。
どうして、償い!という事を考え出す事ができた!のでしょう!

このしもべだったら、考えられません。
でも考えられる時!はあります。

子供が罪をおかした時、自分がその代りをしよう!というように!です。

親が罪をおかした時、自分がそのせめ苦をひき受けよう!と思います。

神様!あなた様は、丁度この気持!であられたのですね!

『罪を代ってやろう!』と。

あなた様はお考えになられた!のですね。
なんと大いなる愛!でしょう!

正に親!です。
父親!です。

生まれさせた父親!です。
父親の気持!です。

神様!この時!
あなた様はお考えになられた!のですね。

『よし、わたしは父親と成ろう!』と、
その時、
あなた様は、創造主でありながら御自分を父!とされた!のですね。

だから許可された!のですね。
人間に、
『父』と呼ばれる事を!
『父』と呼ばせる事を!

正に償い!は、
あなた様の愛の気持!であった!のですね。
創った人間に対する愛!だった!のですね。

そうでなければ生まれません。
考えは生まれません。
考えは、お気持ち!から生まれた!のです。
それは、
親!のようなお気持ち!でした!
必っして、
創造者のお気持ち!ではありません。

りん!として、〜でならなければならないもの!を創り続けて来られた。
科学者!の、
誤ちを、ゆるさない!という気持ではありません。

過ちさえゆるしてしまう!のですものね。
それまでには、決っしてゆるされない事!でした。
あなた様には決っしてゆるされないもの!として、
前にしっかり立ちふさがっていた!ものでした!
それをも、
あなた様は破られた!のですね。
愛する!故に!
創ったもの!を愛する故に!

そして、

わたしがその罪(そのあやまち)を代ってやろう!と、
お考えになられた!のですね。

苦しむやみの中に居る霊体!をごらんになられて!

それを、

『神様!それなら、このわたしにお命じ下さい!わたしがその事を成しましょう!』
と、おっしゃられた!のが。
イエス・キリスト様!である天使様であられた!のですね!

それは、
神様!あなた様の選ばれた天使様!
であった!のですね。

『ではそのようにお願いしよう!』と、
あなた様はおっしゃられて、マリア様から生まれさせた!のですね!
神様!このしもべは申し上げます。
償いという事の発見は、
神の愛!の気持!から生まれたものである!
それは、苦しむものを見た神が、
その苦しむものに代わってやりたい!と、
お思いになられた!時、生まれた!と。

神は苦しむものに代られた!のである。
その、
神の代行を行った!のが、
勇気ある子羊のような大天使である、
イエス・キリスト!であった!

神は、
神の代行として、イエス・キリストをおつかわしになられた!
マリアのお腹に受胎!させられた!

だから、
イエス・キリストは、
『わたしを見た者は、わたしをおつかわしになられた父!を見たのである!』とおっしゃられた!のですね!

神様!わかりました。
あなた様のお気持ち!がわかりました!

償い!という、とんでもない事を発見された、神の気持!がわかりました!

今までは、完璧!だけを創造された。
神は、完璧である!事を、
人間にも望まれた!故に、
人間を不完全と成している罪!を取り除くために!
イエス・キリスト様!をおつかわしになられ、

人間の罪の代償!とさせ、

人間を無罪釈明とさせた!
人間の中にあるDNAが完璧である故に、人間をも完璧な罪のない!ものにしたかったのである!
と思っていました!でも、今、新しい考えが浮びました!
それは、
人間は罪をおかします。
そして、裁きを受けます。
その裁きは、死ぬ時であっても良いし、
生きたままであったも良いです。

その裁きに合い、
自分の罪のため、せめ苦にあっている人間を、かわいそうだ!と、
お考えになられた!

だから、罪をゆるそう!とお考えになられた!のですね。

人間の罪が、人間を苦しめている事を知った!からです。

せっかく、感覚器という、とってもむずかしいメカ!まで創って、大いに楽しませよう!と、お考えになられて、
人間を創った!のに。

苦しむ人間を、とってもお気のどく!にお思いになられた!のですね。

それで、その苦しむ原因!を取り除こう!と、
お考えになられた!のですよね。

それが、
身代わりをする!という事であった!のですね。

創造者自から、身代わりになる!
のであれば、

罪は、自己主張できません。

『罪よ、おまえは消えうせよ!』という

神の声にはどうしようもありません。

まして、

神御自身が、その人の罪の代わりをした!のであるなら、その人の罪は、あとかたも無く消滅する事よりできません。

これが罪の完全消滅!です。

神様!あなた様は、キリスト様の代償!によって、人間の罪の完全消滅!を、
お考えになられた!のですね!

この世の罪とあの世の罪を、
信じる人間から、一掃!した!のですね。

永久に生き続ける霊魂のために!
罪をおかしたが故に永久に苦しめられる存在!を、
ふびんに思われた!のですね。

そして、
神を信じる者の罪をおゆるしになられた!のですね。

『神がおまえを愛している!
おまえの代わりにばつを受けた!という事を信じて生きるなら、
その信じる霊魂を救おう!』
とお考えになられた!のですね。

罪も思いから生まれるものであり、
信じる事も思いから生まれるものであり、

罪を信じる事を両てんびんにかけ、
これを等しい重さ!とした!
のですね!

なる程!理論的ですね。
等しい重さ!である故に、帳消し!になる!のですね!

とっても理論的!です。
さすが、
神様のお考えになられる事は、スバラシイ!です。

きちんと理論付けされているます。
この理論がわかりやすい!のでしょうね。

キリスト教はわかりやすい!といいます。

神様!メカ好きなこのしもべはこの事もメカ!として、
理解してしまおう!かしら!

必ずそのように成るメカ!
必ずそのように成らせる!メカです。

神様!そうしましたら、
イエス・キリストを信じた人は全て罪はゆるされる!という事に成ります。
だって、メカ!なのですもの!
必ずそのように成らせる!わけです。

大いなる喜びを、
神様!あなた様は又も御用意して下さった!のですね!
感覚器、五感を与えるメカ!だけではなかった!のですね。
喜こびを与えるものは!
きっと、それら感覚器より、もっとすばらしい喜び!を与えるもの!です。
だって、
生きる時間は短く、
死後の時間は長ーい!のですもの!
死後の時間は喜んでくらせる事は大いなる喜び!です。
むしろその方を選びます。
この人生より、死後楽しくくらせる方が良い!です。
嬉しい!です。

死後、悩み苦しみ、つらい思いをして、
はてしない旅路をすごす事は耐えられません。
力のない者には涙涙涙です。
だから、
大いなる喜こび!です。
これ以上の喜こび!はありません。

神様!ありがとうございます。
あなた様が発見して下さいました大いなるメカ!に、何度も何度もアリガトウゴザイマス!と、
申し上げます。
涙にぬれた瞳で!

死後のせめ苦を一掃したい!と、
あなた様はお考えになられた!のですね!
それが愛!なのですね!
現世の愛!
は、
死後へ通じる戸びらのカギをも開けて下さった!のですね。

『罪を許す。おまえを救う!』という御言葉で!
天国行きの許可証!を与えた!のですね。

「アリガトウゴザイマス!」
もう、おそろしくなくなります。
死んだ後の存在が!
永遠に続く存在が!

死んだ時、どうなるかしら!と不安におののいていた。
おおかみにねらわれて、ワナワナふるえている、うさぎ!のような気持!が、
元気になりました!

安らぎ!を得た!からです。

そうだ!許可証が有るわ!と気付いた!からです。

なんという愛!から、
死んだあと!の時空!までお考えになって、下さっていた!のですね!
それで『罪をゆるそう!』とお考えになられた!のですね!
それは、
アダムとイブから、おかし続けてきた原罪のため!でもあり、
一人一人生きている間におかしてしまった罪!のため!でもあった!のですね。
それは、
永遠なる魂を人間に創られた者!
としての“なさけ”であった!のですね!

よみで苦しむ魂のため!であった!のですね!

霊である故にお知りになられた。
人間の霊魂の苦しみ!であった!のですね!
だから、
救う!という御言葉がでてきた!のですね。
救う!という御言葉!こそ、

よみに苦しむ霊体!のため!であった!のです。
だから、

『救おう!』とおっしゃられた!のです。

神は救いなり!というイエス・キリスト様の御名!です。

だって、生きている者なら、
人間は自分であるてい度できますものね。
でも、
死んだ霊は、できません!ものね。
弱い力だからです。
環境は与えられている!からです。
そこから、のがれ出る事はできません!ものね。
地獄へ行った者はいつまでも地獄の中!に生きなければいけないのでしょう!

だから『救おう!』とお考えになられた!のですね。
それは、御自分が創ったもの故に、
あまりにも長い時間存在させた霊体のため!
あなた様に責任!が有った!のですね。
なによりも、

あなた様の愛が!その事を見ていられなかった!のですね。
苦しむ霊を、
それで、

『これではいかん。どうしようか!』と、お考えになられた!のですね。
そのための理論を発見された!のですね。

霊体の救い!の方法!です。

それは、
永遠の命をもつ者であり、
罪の無い者が、
人間の罪の代行を行う!
その事によって、
人間の罪は、ゆるされる。

信じる事によってのみゆるされる!
神の存在と、代行者イエス・キリストの存在!を信じる事によってゆるされる。

神を信じる事!の意味は、それほど大きな意義を持つ!のですね!
人間の罪を帳消しにする程の意義を持つ!のですね!
どうしてでしょうね!
そこには有る!からです。
神の存在!が、歴然たる神の姿!が有る!からです。
イエス・キリストの姿の背におられる神の御姿!が有る!からです!
そうです。
イエス・キリストの姿!を画く時はいつでも、
神の御姿も後に画くべき!です!

最も尊いお方様!の御姿!です。
でも、
あまりにも尊すぎて、画く事すらできない!かもしれません!

もし、画いてしまったら、
神についての認識を軽くさせてしまう!からです!

人間の姿!のようなので、
人間の能力の拡大!としてのみより、
神を理解!できずに、失礼になる!かもしれません!
でも、
存在!だけ!でも良い!のです。

神という、絶対者!無限大の愛の心と、無限大の叡知!を持っておられる。
お方様!がおられる!という、その事だけ!で良い!のです。
漠然と理解する!のも理解!ですものね!

その理解!
神の存在の理解!こそが、救う!のですね!
人間を!
人間の罪を!
人間の罪を一掃させる!のですね。
そして、
喜ばせる!のですね。
長ーい長ーい時間。あの世に行った時も!

「わたしは神の子よ!」と申し上げて良い!のですか!
あのよに行った時も、許可証!は有効!なのですよね!

それなら、住む家は、
神の子の住む家!ですよね!

「父よ」「神はわたしの父よ!」と申し上げて良い!のですか!
あのよに行った時、
「そんな事はないだろう!
神は絶対主!であり、おまえなんか知らない!と言うよ!」と、門番に軽くあしらわれない!かしら!
でも、
このしもべはしつこくくい下がる!かもしれませんね!
「だって、
聖書に書かれているのよ!
天にまします我らの父よ!と祈りなさい!と、
その御言葉はイエス様のおっしゃられた御言葉でしょ。
聖書には誤った事が書かれているの!
それも、一番重要な所に書かれている!のよ!」と。
門番さん、あなたは、誤っている!のじゃないの」と言って、ケンカをする!のです。
その内、天使様が現われて来ます。

「おやおまえさんは、ボクと握手した方じゃないか!
「ホサナ!」と一緒に神を賛美した方じゃないか!
どうぞ、入りなさい!」と言って。

通してくれる!のです。
そして、
門番に『聖書に書かれているようにしなさい!』と、言いわたす!のです。

ああ、良かったわ。

先取りしてしまいました!
死後の時空の先取りをしてしまいました!

その時には、天使様!よろしくお願申上ます。
アーメン。


神様!イエス・キリスト様の代償メカは、
まるで細胞膜!のようです。
このしもべの中に60兆個もある細胞の膜!のようです。
その中の回転メカ!です。

とっても入らない程の大きな罪でも、
くるりと回転させたら、その罪は、細胞である。
天国の中に入ってしまう!のです。

それは回転メカ!です。

とっても大きくて、入れない者でも入れてしまう回転メカ!です。

罪が大きくて、絶対は入れないであろう御国へ入れた!のは、
その回転メカ!があった!からです。

奥様!お手をどうぞ!と、手をさしのべて下さった!のは、
イエス・キリスト様!だった!のですね。

「信じます。神を信じます。あなた様が神の子である事を信じます。」と言って、
その手にさわっただけで、
くるりと回転し、中に入れてもらった!
のですね!信じる人は、

たくさんのむりを通してしまうメカ!をお創りになられた神!ですね!
代償!をお考えになられた!のは!
むりして行ってしまう!のですものね!
回転メカを置く事によって、むりして通してしまう!のですものね!
罪あった者を、
“罪ある者は、ここを通るべからず”と書かれている!のに、

「神を信じます。イエス・キリストの父上であられる、
天地創造の神を信じます。
わたしは神の創られたもの!です」と申し上げるだけで、
回転メカは、手をさしのべてくれる!のですから。

センサー!です。
信じる者の言葉は、センサーに反応する!のですね。

天国の門のセンサー!は、
信じる者と信じない者との区別をしている!のかもしれませんね!

それ程大切な事!なのですね。
心から信じる事は!

“罪ある者はここを通るべからず!”
と書かれている立札は、
今では、
“創造主である神を信じる者、
イエスキリストをその代行者であり、
罪をゆるすと、神の定めた事を行った、
代行者であると信じた者のみ、
ここを通る事を許可する”と、
書き直されている!かもしれませんね!

天国のセンサーは、それをすぐわかる!のです!ね。
それはきっと聖霊かもしれませんね。
必っして、誤らない聖霊です!
天国の門番であるセンサーは聖霊!です。

神様!あなた様!だけ!です。
救える!のは。

あの世の苦しみ!から救える!のは、
あなた様!だけ!です。

どうゆう宗教も救えません!

権利!が無い!からです。

救う事!の権利は、ただ創られた者!にのみあります!

永遠の命である霊魂を創られた、
あなた様!にだけあります!

人間を苦しむためでなく、楽しむため、喜こぶため!に創られたあなた様!です。

どうぞ、御心を、死後の霊魂にも、成して下さい!

苦しんでいる霊魂に救いの手!をさしのべて下さい!
お願い申し上げます。
それは、
創られた、
あなた様!だけができる事!です。
命に絶対的権利を持っておられる、
神!のみできる事!です。

ですから、どうぞ、雪の上を歩き続ける霊魂を救って下さい!

暗やみに居る霊魂を救って下さい!

苦しむ霊魂を救って下さい!

お願申上ます!

イエスの御名によってアーメン!