1999年2月25日(木)
イエス・キリストの父上であられるヤーウューの神様!
あなた様を賛美申し上げます。
全て、神様の御心のままに成りますように!

神様!あなた様は、なんとすばらしい電磁波!をお創りになられた事!でしょう!
今、音楽が聞こえています。空中を流れてきます。
この空気の中には、たくさんのチャンネルの音が流れています。
たくさんのテレビの映像も流れています。
でも、このしもべはそれに気付きません。
電磁波は、ちっとも気付かれずに通り過ぎてしまいます。
空気の中には、たくさんの音が流れ、たくさんの映像をのせている電波が有る!のに、それを気付かせない!
そんなやさしい電磁波!なのです!
そして、木材や壁でも通り抜ける電磁波!です。
その存在!にオドロキ!ます。
目に見えなければ、その存在!に気付かないこのしもべは、ビックリしてしまいます!
そして、それがビッグバンの以前に創られたもの!である事に、またまたビックリしてしまいます!
こんなすばらしい物!を、どうしてお創りになられた!のかしら!と、オドロイテシマイマス!
あなた様が御用意して下さいました!ので、使用できます。
テレビ局が、ラジオ局が、電波を飛ばします。
それを受けて、このしもべ達は楽しみます!
電子と光子、電気と電磁波!
全てこれから、メカ!は創られています!
子機で話せるのも、移動電話で話せる!のも、ラジオを聞けるのも、テレビを見れるのも、全て電子と電磁波を御用意して下さっておられる!からですね。
小さな小さな透明人間!テレビの映像や音を乗せて届けてくれる電波!どのような電波にもで乗せる事ができる!のですって!
Aのラジオ局では、aMHの電波にのせる!し、Bのラジオ局ではbMHの電波にのせる!
イのテレビ局では、アMHの電波にのせる!ロのテレビ局では、カMHの電波にのせる!
たくさんの種類の電波を作る事ができる!のですね!
なんとすばらしい!もの!なのかしら!
波の大きさはいくらでも!できる!のですね!
高い波、低い波、巾の長〜い波、巾の狭い波!
その巾の違いによって、波の型!はいくらでもできる!のですね!

神様!あなた様は、波!を、お創りになられた!のですね!
とってもとっても狭い波や、とってもとっても巾の長い波!を!
それが、電磁波!なのですね。
そして、情報を伝える波!は、空気の中を進んでいる!のですね。
メロディーを乗せて、映像や光を乗せて!
なんてロマンチックな世界!なのでしょう!
チャンネルでその波を捉える!と、波は、こっちに向かって進んで来る!のですね!
目に見えるようになって!耳に聞こえるようになって!
でも、決しておじゃまはしない!のです。
チャンネルで呼び出されない限り、決しておじゃまはしない!のです!

なんて、謙虚!なのでしょう!
気付かれない!事を主義(信条)にしている!のですね!
同じ電磁波でも、光は気付かれます。あっ光だ!と、すぐわかります。
でも、ゆるやかな波である電磁波は、ちっとも気付かれない!のです。
どんなにたくさん流れていても、トントントン!という音すらたてません!
キャッチしよう!と思わなければ、決してとらえる事ができない!のです。

とってもおくゆかしい電磁波!です。
それでいながら、とっても強い!のです。
壁や木にじゃまされない!のですから。
自分を通してしまう!のですものね!
自分の考えを通してしまう人間のような力強さ!を感じます。
いいえ、それよりも強い!です。
自分の存在を何ものによっても阻害!されない!のですね!
「邪魔だては許さない!ぞ!この私が通るのだから」と、まるで木材や壁の存在すら意に介さない自由さ!を持っています!
したたかさ!と申し上げましょうか!それを強さ!と申し上げます!
神様!あなた様がこのような光子!をお創りになられました事を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」とお礼申し上げます。

電磁波も電気でできる!のです!
電気は、電子の流れ!です!
皆、兄弟なのですね!
なんとすばらしい!事でしょう!
これで、科学も発展!できた!のですね!
光を電気にかえたり、電気を光にかえたりできる!のですね!
『もとは、同じものなのだよ!』というあなた様のお声が聞こえてくる!ようです。
『ビッグバンの時、その時よりずーっと以前は、同じもの!だったのだよ!』というお声です。
そうですね!どちらもエネルギーの源!ですものね!
あなた様は、ATPのエネルギーをお創りになられました!ように、大きな大きなエネルギーを小さなエネルギーに小分化!した!のですか!


神様!それが光子!であり、電子!なのですか!
なる程!そうですね!
小分化!ですね。大きなエネルギーの小分化!ですね!
きっとそうです!

あなた様は、小分化!なさった!のですね!
それが、ビッグバン!だった!のですね。
『散れよ!バラバラに散れよ!』と、あなた様はおっしゃられた!のですね!
まるで胞子!のようにバラマカレタ!のですね。
胞子がDNA!である!ように、1つの完璧なもの!であるように。
あなた様は、ビッグバン!でばらまかれましたもの!をも、1つの完璧なもの!となされた!のですね!
1つのファミリー!です。水素です。原子です!

神様!水素!の存在だって考えてみますとフシギ!ですよね。
水素には、中性子が無い!のですものね!
この事は、
あなた様の創造!素粒子の創造を証明する!1つの証拠!に成る!のではないかしら!と、このしもべは思う!のです!が、いかがでしょうか!
そして、この事をどのようにして導いたらよい!のでしょうか!
大きなエネルギーの小分化!と、どのような関係がある!のでしょうか!
このしもべは、きっと鍵は有る!と思う!のです!

神様!大きなエネルギーのかたまり!の中には、中性子!は、存在しなかった!
ただ、それだけ!の証明!だった!のですか!
それを知らせるため、わざわざ水素!という原子!を存在させた!のですか!
『それが、エネルギーの小分化の証拠だよ!』と、おっしゃられる!のですか!

あなた様は、中性子を創らなかった!から、存在しなかった!のですね。
それは、必要ではなかった!からですね!
その事によって、知られます事は、あなた様はエネルギー!そのもの!をお創りになられた!という事ですよね!

ビッグバンも理由が有って!キチンとその理由のために創られた!ものである!
それは、エネルギーをつくるためであった!という事ですよね!
宇宙に満ちるエネルギーを創るため!であった!のですね。
神様!それならば、エネルギーの小分化!がどうして、電子と光子と陽子!に成った!のでしょうね!
『それは存在!のためだよ!』
『エネルギーだけでは、なにもできない!事を私はよく知っていた!からだよ!
この宇宙にエネルギーだけでは、このビッグバンの以前の状態にしかならない!という事を知っていた!からだよ!
だから、何かを存在させるために!エネルギーを物質化させるために!エネルギーを分けた!のだよ!
小さく分けた!のだよ!
それをおまえ達は、電子、光子、陽子、中間子と言っているだろう!
私は、存在!を作った!のだよ!電子、光子、陽子、中間子という存在!を、エネルギーを小分化する事によって創った!のだよ!
そして、それを1つの完璧な存在!と成らせた!のだよ!
いわば、エネルギーの封じ込め!だ!
おまえが言ったエネルギーの封じ込め!だ!
私があえて封じ込んだ!のだよ!
エネルギーを小分化する事によって、完璧な存在!を創った!のだよ!
しっかり、肩組むものを創った!のだよ!
エネルギーの配分も、しっかり考えて、計算して創った!のだよ!
小分化の時にね!
陽子と電子と光子、中間子!のエネルギーの配分!をしっかり考えて、キチンと創った!のだよ。
それは、全くDNAを創る時と同じだよ!4つの塩基を創った時と同じだよ!』

神様!あなた様は、胞子!のように完璧なものをお創りになられて、それをバラマカレタ!のですね。
エネルギーの配分!をキチンとなされて、素粒子!をお創りになられた!のですね!
そうしますと、素粒子は、あなた様のエネルギーの分配によってできた!もの!であった!のですね。
もとは、同じもの!であるから、変換!もできた!のですね!
なる程!理解できます!
電子も光子も、もとは同じもの!なのですね!
ビッグバンの以前は、同じもの!だった!のですね。
同じエネルギーだった!のですね。
その同じエネルギーを小分化して、電子、光子、陽子、中間子をお創りになられた!のですね!

神様!いわば、あなた様のお創りになられましたオダンゴ!なのですね。
エネルギーの分配を得たオダンゴ!なのですね!
球体に創られた!オダンゴ!なのですね。
小さな小さな球体は、エネルギーの配分を受けた、小さな小さなオダンゴ!というわけです!ね。
申し訳ありません。オダンゴ!なんて、俗っぽいものに譬えたりして!
このしもべの頭の重さ!を推し量ってください!これしか!ない!のです。譬えるものが!
でも、よくわかります。
大きさはちがう!けれども、同じエネルギーを分配された!のものである事!が。
エネルギーの小分化!である事が!
交換できる!のですものね!
神様!この事を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」と賛美申し上げ、お礼申し上げます!
そのおかげで、テレビを見られ、ラジオを聞け、電話で話すことができる!のですから!
この世界に生まれてきて、生きて本当に幸せです。
人間が幸せのメカを創れた!のも、
あなた様が光子と電子!電波と電気を兄弟!として、創って下さった!からです!
このお祈り、主イエス・キリストの御名を通して、御前におささげ申し上げます。アーメン
1999年2月25日(木)