1998年7月24日(木)
神様!これこそ、神技です!人間はとっても作れません。
必要な分だけ濾過させよう!として、濾過させることはできません。
濾過する物は、どうしても濾過します。
濾過できない物は、どうしても濾過できません。
でも、あなた様は違います。無理にさせてしまう!のですね。
これが、無限大の叡知でなければできない事です!
Naを必要だからこそ、再吸収しろ!
〜の量だけ再吸収しろ!
この夏はことのほか暑いから、汗が出てしょうがない!だから、
その分だけNaclが減る!その分だけ多くNaとClを再吸収せよ!
と命令が出ると、第二の濾過器は「ハイ、わかりました!」と元気よく返事をするのです。
そして、その通りに行うのです!
このようなメカは、無限大の叡知無くしては創れません!
神様!あなた様は、第二の濾過器に神技を行わせておられる!わけです!
〔図〕
第一の濾過器と第二の濾過器の発明、発見は、とっても理論的です!
第一の濾過器で水をあけわたした血液(動脈)は、非常に濃度が濃くなっています。
その濃い濃度の血液が流れる血管を濾過する器!と成された!のですものね。
濾過される血管(メカ)(糸球体)から、濾過する血管(メカ)(毛細管)へ変身させてしまわれた!のですから。
でも、これはけっして浸透圧の差によるものではない!のですから。
これは、フシギな話です。
普通、濃度の低い物と濃度の高い物は、濃度が同じになるように作用します。
第二の濾過は逆です。
濃度の低い方から濃度の高い方へ、NaやCl、Ka、PO4、ブドウ糖、アミノ酸水が流れる!のですから。
まったく逆です!
これは、自然ではありません!この事が証拠です。
第二の濾過器は、けっして自然にできた!ものではない事の証拠!です。
どうしても、そのように成らせたい!という意志が見られます!ハッキリと見られます!
この事が、創られたものである事の証拠!です。
どうして、お創りになられた!のでしょうね。
これが、無限大の叡知が創られた証拠!です。
まるで、『なせば成る、成さねばならぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり!』と、あなた様はおっしゃっておられているようです!
でも、神様!人間は成しても成らぬ事が多い!のです。
成せば成る!のは、あなた様!だけです!
ナポレオンだって、アレキサンダー大王だって、ジンギスカーンだって、成らなかった!のですもの!
『成らぬなら、成らしてしまおう!』という意気を感じます。
第二の濾過器(細尿管)には、とっても無理な事を成している!のですね。
第二の濾過器は、『成らぬものを成してしまった!』メカ!
“不可能を可能にしたメカ”と、名付けます!
きっと、これは創造した時のあなた様のご感想であった!でしょうから!
神様!魚の糸球体の直径は、0.05〜0.07oで片方の腎臓に普通、数千から1万個位存在するそうです。両方では2万個です。
随分小さなメカをお創りになられた!のですね。
そして、随分多く、お創りになられた!のですね!
この事が、無限大の叡知が創られた!事の1つの理由です。
微小のメカをたくさん創って1つの臓器を創る!というお考えです。
とっても人間には、真似のできない事!です。
これ程精密なメカは、コンピューターくらいのものです。
でも、電気洗濯機だって、冷蔵庫だって、掃除機や自動車だって、そんなに精密にミクロの部品を作っていません。
そして、1万個も同じ部品を使っていません!
でも、あなた様は違います。
1つの臓器を創るために1万個もの同じメカを創ってしまわれる!のですね。
このような努力、メカを創る努力を人間は知らない!理解できない!のです。
そして、「どうしてあのような魚のために創造した!というの?うそでしょ!わざわざ創ってあげた!なんて、考えられないわ!」という事になるのです。
そうです!
神様!考えられない!のです。
ミクロのメカを1万個も創って、1つの臓器と成した!という事が。
あのような魚達のために!わざわざ創った!という事が。
人間は理解できない!のです。
人間が獲って、すぐ食べてしまう、なんの取りえもない魚のために、
どうして神様がそのような努力をはらわなければいけなかった!のか?しら?と、思うのです。
神様は、そのようなお方様ではない!
もっと、立派なお方様である!と思っている!のです。
それは、人間のために、イエス・キリスト様をおつかわしになられ、人間を救われたから!立派である!
そのような立派なお方様が、どうして、あのような魚達のために、そのような御努力をされた!というの?と、思うのでしょう!ね。
神様!立派だからできる!のですよね。
無限大に立派だから、できる!のですよね!
人間のために、御自分の一人息子を犠牲にされたお方様!だ!からこそ!できた!のですよね。
その精神が、万物を創られた!のですよね!
魚にさえ1万個の糸球体、ボウマンのう、細尿管のメカを創っておやりになった!のですよね。
全てが無限大の愛であり、無限大の叡知!ですよね!
そして、無限大の努力!であった!のですよね。
自分の事より、被創造物の事を愛されておられる!のですよね。
イエス・キリスト様の処刑は、その証し!ですものね!
だからこそ、創ることができた!のですよね。魚もミミズも、クラゲも人間も。
神様!このしもべは思います。
創造こそは愛である!と。努力をはらわれた愛である!と。
愛して創られたからこそ、すばらしい生物ができた!と。
すばらしいメカが発明された!と。
神様!自然が偶然に1万個もの糸球体、ホーマンのう、細尿管を作り、1つの腎臓を作る!はずはありません。
自然は偶然に1つの糸球体、ホウマンのう、すら作れない!でしょう。
まして、1万個ものメカの集合体は、創れるはずはありません。
ここにあるのは、数においても無数!の観念!です。
元素を創られた観念です。星を創られた観念です。
1万個の糸球体、ホウマンのう、細尿管のメカを平気で創ってしまわれる!のですから!
このしもべは、オドロイテシマイマス!
神様!このしもべは、細尿管を再尿管と書いていました。
再吸収にばっかり頭が働いていた!からです!
でも、再尿管もなかなか内容を表している字だと思いませんか?
一応、訂正しておきます。
イエスの御名によってアーメン!