1998年05月18日
イエス・キリストの父上であられるヤーウェーの神様!
あなた様を讃美申上ます。
地上にて「ホサナ!」と讃美申上ます。
どうぞ、全てを助けて、導て下さいませ!
このお願、主、イエス・キリスト様の御名を通して、御前におささげ申上ます。

あなた様が創造なさった!
でも
その方法が、人間には高度すぎて理解できない!のです。
そこで
このしもべは理解できる範囲で理解しよう!と思います。
自然に突然変異でできた!ものではない!という事を証明してみよう!と思います。
どうぞ、お力をおかし下さいませ!

このしもべは
あなた様のさしのべて下さいました長ーいサオにしっかりつかまってまいります!
宜しくお願申上ます!アーメン。

神様!昨日青森県と秋田県の境に有る白神
世界保護地域のテレビを見ました。

その周囲に縄文文化が栄えた!といいます。
石器時代の人々が使った、遺石が有ます。
魚をつくヤリに使う、先のとんがったけずった石、
動物の皮に穴をあける、穴あけ、
そして
土笛。日本でも10個位より発見されていないようです。
〔図〕土笛

神様!このしもべは思います。
土笛が、人間により作られたものである証拠は
1・文様です。6という文様が4個付いている!のです。
中央には0が1つです。
そして
1・穴が両端にあけられています。
一方の穴から息を入れると「プー」と音がします。低い音です。

人間が作ったものであるかを、判断する時
1つは、機能が有るかどうか、
1つは、文様です。

神様!もし、土笛の端に穴があいてなかったら
文様が付いていなかったら
これは、作ったものである!と
だれもが認めなかった!でしょう。
でも
機能と、文様によって、だれもが認める!のです。
人間が作った!ものである!と。

そうであるならば、
花だって、創造である!と認めるべきでしょう!
文様は6の文様の何倍も、何千倍も、何百万倍もすばらしい!です。
複雑にできています。

例えば山ゆりだって、都わすれだって、パンジーだって
とっても複雑な文様です。
人間には、描く事すら、むずかしい!です。

機能は、穴が2つあいている物より、ずーとずーと複雑です。
クロロフィールによる光合成、呼吸によるエネルギー発生システム
花のあとには、種に変化する、フシギなメカ
花を咲かせるメカ
どれをとっても、とっても、とっても、とっても複雑なメカです。

神様!これが証拠です。
高度な技術が創造した!という証拠です!
高度な技術でなければ創れなかった!証拠です。

このしもべは今、考古学者になった!つもりです。

山ゆりを見ます。
これは、自然にできたものか?
創られたものか?を検査するわけです。

考古学者は、石を見ます。
そして、この石は、ただの石ころか
それとも
古代人の作ったものかを見きわめる!わけです。
わざわざ細工をしたものかどうか??を判断するわけです。

このしもべも、山ゆりを見ます。
そして
わざわざ細工をしたものかどうか??を判断するわけです。

花ビラが五枚、この五という数字、
円周を正確に五等分する技術。
白い花ビラの型、
どうして先端の方が太くなって
花は、広がるようにできているのか??
この花の型には智が有るか??
智を忍ばれるか??

どうしてこの花が無知の作品であるのだろうか?
ただの偶然の作品であるのだろうか?

この花は叡知の固まりではないか??
人間は描く事もできない!形ではないか。

あの古代人の笛の絵は、6を4つほっただけ。
3000年前の人間は
文様を画く時、たったそれだけの文様より画けなかった!ではないか。
3000年前の古代人は、
この山ゆりの花を、正確に画けた!だろうか。
土器を作る、土で
山ゆりの花を彫刻できたでしょうか??
これ程の芸術的センスが有った!でしょうか。

山ゆりは、山ゆりが創った!ものなのでしょうか?
答えはNOです。
山ゆりのDNAは、山ゆりは合成できない!からです。
では
かけ合わせによる突然変異でできたものでしょうか?
答えはNOです。
山ゆりに似た、他の花はない!からです。

山ゆりの型は創られたものです!
高度なセンスのお方様によって創られた!ものです。
姿型も創られる!ものです。

古代人が、6の文様を4つ描いたように
文様は脳により思い浮びます。
文様は脳により思い浮びあがらなければ
画く事はできません!

姿、型というものは、全てそうです。
頭脳が作り出すものです!

例えば、コーヒーカップの姿型、今、食べられてしまうケーキの型、
すぐに捨てられてしまう、砂糖のステックの紙の型、
どのような型でも
人間が脳で考えて作った!ものです。
型は、脳で考えなければ必っしてできない!ものです。
そうゆう意味で
山ゆりの花の型も、頭脳により考えられて創られたものである!と、理解できます。

そして
型を創るためには

まず1、型を思い描く、脳が必要です。
脳のちみつさによって思い描く型はちがいます。

3000年前の土笛という大発明をなされた人は、6の文様を4つ思い描きました。

このしもべは、山ゆりを思い描きました。
山ゆりをテレビで見たので、それを思い描いた!のです。
これが、このしもべの、思い描く能力です。

でも、型を思い描く能力に於て、
最初に、なにも無い状態で
思い描き、創造する能力とは
いわば
●型の発明・発見である!わけです。

型も発明・発見された!わけです。

創造に於る、型の創造とは、
型の発明・発見・創造!なのですね!

神様!あなた様は型をも発明・発見された!のですね。

型は、2次元に画けます。ペンで絵けます。
でも
いざ画こう!と思っても、仲々画けません。
画く能力が無いからです。
もし
コンパスや三角定規や分度器を使って画いたら
そこには、知恵有絵が画けるかもしれませんね。

神様!山ゆりの花も、知恵有絵です。
知恵あふれる三次元空間の像です!
これがどうして
知恵有者が創ったのではない!と言えるのでしょうか?

3000年前の人間は
たとえ、知恵有る人間でも、山ゆりの花は描けなかった!のです。

その辺に山ゆりは咲いていたでしょうに・・・
それを土器の土で陶芸する技術がなかった!からです。
花を陶芸する能力(脳力)が無かった!のです。

それなのに
自然には、有った!というのでしょうか。

山ゆり程の高度な型を発明・発見・創造
できる能力(脳力)が有った!というのでしょうか??

三次元に、正5角型は、むずかしい!です。
それを
三次元に、正5角体を作れ!と言われたらどうでしょう。
点を出発点として、三次元空間に正5角体を作れ!といわれたらどうでしょう。

ただし、分度器やコンパスや三角定規は使用しない事!
となるわけです。
3000年前、いいえ、もっともっと以前
山ゆりが最初に地球上に姿を現わした時には、それらの文明の器具はなかった!
わけですからね。

それが、できた!のです。
山ゆりの創造者は、それができた!のです。
型の発明・発見・創造ができた!のです。
分度器も、コンパスも、三角定規も無いのにできた!のです。
それは
無限大の叡知有お方様だからこそ!できた!のです。

神様!型の発明・発見・創造にも、叡知が必要です。

このしもべに、『新しい花の型を思い描いてごらん!』と言われても
仲々思いえがけません。
能力(脳力)がない!からです。

神様!このしもべは思います。
“高度な型を発明・発見・創造できた能力は
高度なメカを発明・発見・創造できた能力に比例する!”と。

土笛を作った古代人は、古代人の発明家でした。
その人は、中空の石の両端に穴をわざわざあけた!のです。
皮に穴をあける穴あけ石器によって、です。
そして、コールタールでくっつけて、中空の石を作った!のでしょう。
それに、文様を付けた!わけです。

あなた様の花の創造も
1種の文様!だった!のかもしれませんね。

この葉には、どのような花を付けましょうか??と、
花の文様を考えられた!わけです。

その花の文様が
チューリップだったり、ヒマワリだったり!するのです。
それは、美しい飾り!だった!わけです!

このように考えますと
神様!花は完璧に創造です!

人間が土笛を作ったように
花は創られた!ものです。

その技術の差は
作られた作品に現われている!わけです。

3000年前、土笛を作った人は、その人の知恵で笛を作りました。
そして、文様を付けました。
その人の知恵の現われが土笛に出ています。

そして
山ゆりの中には、山ゆりを創られたお方様の知恵が現われています。

複雑な山ゆりの型と
複雑な山ゆりのメカです。

山ゆりは球根で子孫を増やします。
そのメカです。
山ゆりの光合成酸素呼吸等のメカです。

神様!花も、知恵が無ければ創れません。
最初の型は、型の発明・発見・創造!だ!からです。
そして       
花は、とっても高度な脳力(能力)により考えられた!ものである!という事です。
その
高度な脳力とは、クロロフィールやATPや
クエン酸回路等を考え、発明・発見・創造された脳力である!という事です。

創型の発明・発見・創造の能力(脳力)も
メカの発明・発見・創造の能力(脳力)も
同じ能力であり、
その高さは、比例する!
という事です!

神様!花が皆、各々すばらしい創型である!のは、
自然が作った!からではなく、
高度な技術が創った!からである。
その技術とは、
クロロフィールを創り、ATPを創り、クエン酸回路を創り、
なによりも、DNAを創られた技術です。

高度な技術の持主が創られた証拠品です!
この事を「ホサナ!」「アリガトウゴザイマス!」
「ナントスバラシイコトデショウ!」と
山ゆりの美しさの故に、他の花々の美しさの故に
讃美申上げ、お礼申上ます。

山ゆりの高度な美しさも、パンジーの高度な美しさも、君子蘭の
高度な美しさも、シンピジュウムの高度な美しさも、
発明・発見・創造されたものです。
世にまれな、叡知によって、発明・発見・創造された!ものです。
三次元空間に、まれに見る美しさを発明・発見・創造された
お方様こそ、
無限大の創造能力をお持のお方様です。
そのお方様の創造能力は
花の本体である、根や茎や葉や枝を創造された!のです。

花の存在は
花の本体である、根や茎や葉や枝を創造できた
能力(脳力)があって、初めて存在できた!ものでした。

花という世にもフシギな美しさの存在は
花の本体である、根や茎や葉や枝のたくさんのメカを創ることのできる能力が存在して
初めて存在できた!ものです。

花の創型も、1つの発明・発見・創造です。
土笛に文様を付けたように
美しく飾ろう!
美しいものを創ろう!とお考えになられたお方様の創造です。

そのお方様の創造技術が高い!ので
すばらしく、美しいものができ上った!のです。

それが、山ゆりです。
それが、君子蘭です。
それが、パンジーです。シンピジュウムです。なでしこです。
アジサイです。

神様!今日は、このしもべは考古学者の目で花を見ました。
そうして、得た結論は
古代人が、土笛のメカを作り、文様を付けて作ったように
花も創られたものである!
植物の本体のメカを作り、文様を付けて飾った!ものである!
美しく飾った!ものである!ということです。

これは、とっても人間的な思索です。
でも、これで良いのだ!と思います。
このしもべは人間なのですから。
人間の考える手順をたどって、考えてみた!わけです。

これは、ただの石ころではない!
人間が作った!ものだ。
ある目的のために作った!ものだ!
そこには
文様が有ました。
人でなければ描けない文様がありました。
人間なので、すぐわかります。
人でなければ描けないもの!である!と。
たとえ、それが、ただ6の簡単な文様であった!としても
人間が描いた!ものである事がわかります。
人間の知恵が描いたものである事がわかります。
その上、それは
本体はメカであった!からです。
笛という音を出すメカである!からです。

本体を作った知恵と、文様を描いた知恵は実にマッチしています。
3000年前の卓越せる人間の作品です。

山ゆりの花も同じです。
そこに有るのは、創造能力のちがいだけ!です。
天と地程もかけ離れている技術の差だけ!です。

人間は人間のために、物を作ります。
でも
無限大の叡知は、自分のため、というより被創造物のために、創造します。
純粋に、被創造物だけのために!創造します。
完璧に創造します。

いうなれば
この完璧に創造する!という事が
無限大の叡知の喜びである!のかもしれません。

たくさんの葉の型を創られました。
八つ手の葉、もみじの葉、金木せいの葉、アジサイの葉、
サザンカの葉、シンピジュウムの葉、サボテンの葉、
針葉樹の葉。

どれも全て良し!
どれも完璧です!
これが
無限大の叡知の喜びである!のでしょう!

たくさんの花を創られました。
山ゆりの花、ナデシコの花、パンジーの花、
アジサイの花、ジャコバンの花、シンピジュウムの花、
君子蘭の花。

どれも全て、最高に美しい!です。
最高の美の発明・発見・創造です!
無限大の叡知の作品です。

神様!人間が3000年前の土笛の発明発見製作で終らなかった!のも
つねに刺激された!からかもしれませんね!
無限大の叡知の作品に刺激された!からかもしれませんね。

「この地球には、こんなにもすばらしいものが存在する!
よし、
こんなすばらしい物を、わたしも作ろう!」と
知らず知らずのうちに刺激されていた!のかもしれませんね。

なにしろ、感じなくても、感じても
人間の周囲には
無限大の叡知の作品が、たくさんたくさん有った!のですものね。

魚を見て、舟を作ろう!と思った!かもしれません。
鳥を見て、飛行機を作ろう!と思った!かもしれません。
美しい花を見て、花瓶を作ろう!と思ったでしょう。
美しい花を見て、美しい文様の洋服を作ろう!と思ったでしょう。
美しい小鳥のさえずりや、虫の合奏を聞いて
バイオリンや、トロンボーンを作ろう!と思ったでしょう。

あなた様は、耳には美しい音を与えてくださいました。
目には美しい花を与えてくださいました。
からだには、栄養豊富な野菜や家畜や果物を与えて下さいました。
神様!いうなれば、胎教が良かった!のです。
人間という動物に、良い環境をお与え下さった!というわけです。

音とは、すばらしいものだ!という事を
あなた様は教えて下さいました!
スズ虫や、コオロギや小鳥の音によってです。

それで人間は音を作ろう!と思った!わけです。

音って、すばらしいものだ!
よし、
作ってみよう!
すばらしい音を作ってみよう!と思った!のです。

あなた様は、おいしい肉や果樹や野菜をお与え下さいました!
それで、人間は
食べる!とは、スバラシイコトダ!
おいしい物を作ろう!と思った!わけです。

おいしい物を食べる!って、なんて幸わせな事なのか!
もっと、おいしい物を作ってみよう!と思った!のです。
あなた様は、美しい美しい花をお創りになって下さいました。

人間はそれを見ました。
なんて美しいのか。
こんなに美しいものが存在する!
そうだ、
わたしも、あの花のように美しく成ろう!
そうだ、
美しいものを作ってみよう!

美しいものとは、なんてすばらしいものか。
気分を明るく、華やかにしてくれる!
目は美しい物を見たい!と思っているのだから!
人間は美しいものを作る事を初めました。

神様!あなた様が、最高に美しいものを目に与え、
最高に美しい音を耳に与え、   
最高にすばらしい味を舌に与えて下さいました!
それで
人間はそれをまねよう!とした!のです。

無限大の叡知の創造をまねよう!としたのです。

余りにも良い物だから
それを少しでも、自分達で作りたい!と思ったのです。

神様!人間も、ここ3000年間の間に、少しずつ
無限大の叡知の創造作品に刺激され、おりこうになってきました。
本当に有難う!ございます。

今、ピンクのアジサイを見ています。
無限大の叡知の創造作品です。
このしもべは、ただ見ている!だけ!なのですが
ナンテスバラシイのかしら!と、見とれてしまいます。
まるで宇宙人のように、見とれています。
ドウシテ、コンナニスバラシイモノが、ここに存在するのかしら??と
フシギにさえ、思えてくる!のです。

神様!無限大の叡知の創造作品に接する事により、
人間は無限大の叡知の1/∞を知恵として
獲得する事ができた!のです。

飛行機やバイオリンやその他です。

人間が自分達に与えられている脳力の開発ができましたのも
まわりに無限大の叡知ある作品が、存在した!からです。

もし、いくら
あなた様が、人間にすばらしい頭脳をお与えになられた!としても
まわりに、なにもなかったら
火星や金星のようになにもなかったら
人間は現代の文明を築き上げる事はできなかった!でしょう!

参考とするものが、なにも無いからです。

でも、
あなた様は、まわりにたくさんの叡知を与えておいて下さった!のです。

あなた様が、お創りになられた作品の中に
たくさんの叡知を忍ばせておかれた!のです。
それを
人間は発見した!わけです。

神様!無限大の叡知が、まわりの作品にひそんでいた!からこそ
人間は3000年の間にこれ程、たくさんの物を発明発見製作できました!

逆に考えますと
人間が3000年の間に、これ程おりこうになったのも
まわりに、無限大の叡知が創られた生物の中に、無限大の叡知が隠されている!
知恵があふれる生物が存在するからです!     
それで、人間は、その知恵を発見しておりこうになっている!のです!

●無限大の叡知が、人間の知恵を導いた!ということです。
この事を「ホサナ!」「ナンテスバラシイコトデショウ!」
「アリガトウゴザイマース!」と、大きな声で、讃美申上ます!
ピンクのアジサイを見ながら
このお祈、主イエス・キリスト様の御名を通して、御前におささげ致します、アーメン。