1998年5月16日(土)

神様!オハヨウゴザイマス

あなた様は奇跡を起こされるお方様です。
聖書には奇跡によって、『地は植物を生だし、動物を生だした。』と、書かれていません。

でも、聖書に書かれている事実は、全て奇跡!と思える事柄ですよね。

目が見えない人がシケムの水で洗ったら目が見えるようになった!とか、
たった300人で何万と戦って勝った!とか、
マナの話しやウズラの話しや、
紅海が2つに分かれた話しや
エジプト人の長子だけが死んだ話しや、
その他たくさんの物語は奇跡です!ものね。

聖書は正に、
あなた様は奇跡を行われる!お方様である!という事を、記している!のですね!

そうですね。
そうである!のなら、『地が植物や動物を出した』事も事実だった!
真実だった!その通りだった!と、単純なこのしもべよろしく、理解していれば良かった!のです。

神様は、奇跡を行われるお方様である!という事を前提にして、考えたら良い!わけです。

そうすれば、ナルホドそうか!と、正に単純に、純粋に理解してしまえる!のですね。

『目にドロをぬり、これをシケムの水で洗うと、目は開かれるであろう!そのように成った』と、聖書に記されています。

この事について、どのようにこのように成ったのかしら?と、
?マークをたくさん並べて、たくさんの時間をかけて考えてみても、
そこには科学的な解明の糸口すら見出せない!かもしれません。

でも、そのようになった事実は真実だ!とするなら、やはり奇跡です。

理解に於いては、
神様は奇跡を行われた!のである!としか、理解できません。

『耳につばをつけて、息をふきかけられると、耳が聞こえるように成った』この話しも奇跡ですね。

なんでも奇跡!だった!のですね。

神様が『〜のように成るであろう!』と、おっしゃられたら、必ずそのように成る!その事も奇跡ですよね。

ヨハネの話しや、ネブカドネザール王の話しや、そのような話しは聖書にはたくさん記されています。

神様!全ては奇跡だった!わけです。

人間から理解すると、全ては奇跡だった!わけです。

そのように考えますと、天地創造も神様が奇跡によって行われた事!である!と、素直に単純に、純粋に理解できます。

そして更に、
あなた様は天地創造が奇跡によって、行われた事を理解させるために、
聖書に次々とあなた様が実行された奇跡物語を書き記された!のですね。

全ては“天地創造の大大大大大奇跡を理解させるために、
あなた様は小さな奇跡を次々書いてゆかれた!わけですね!”

このしもべのように、「神様は、どうして地から植物を生だしたのかしら。
神様は、どうして地から動物を生だす事ができたのかしら?」と、
疑問に思う人が必ず現れる!ことを予測しておられた!のですね。

『それでは、次の事柄を読みなさい』と、
あなた様はおもむろに、
あなた様が被創造物である人間と関わりをお持ちになられて、
それらに対して行われてきた真実を書き記された!わけです。

そして、そこで
あなた様は神!と、御自分を被創造物である人間に呼ばせた!わけです。

あなた様の人間とかかわる真実の物語の幕開けです。

そこで、あなた様はやはり、奇跡を行われるわけです!

これみよがしに、奇跡を行われるわけです!

どうしようもありません。

あなた様の実力!なのですから、
あなた様にしてみたら、ほんの少しの力で、ほんの些細な奇跡を行われていた!わけです。

そうですよね。
赤ちゃんみたいな人間に対応している!わけですものね。
本気は出せませんよね。

悪いことは悪い!と、
もし、
あなた様が怒られた!ならば、人類滅亡は明日にでも行われるはずです。

でも、
あなた様は、被創造物であるがゆえに、まるで赤ちゃんをヨシヨシとあやすように、人間に対応した!わけです。

そこでは、大きな奇跡を行われませんでした。
人間にあわせた奇跡を行われた!わけです。

人間にあわせた!わけです。

お話しするとき、相手の話にあわせる!ようにです。

神様!あなた様は、小さな人間には小さな人間にあわせた、奇跡より行われなかった!のですね。

母親が赤ちゃんにあわせる!ようにです。

あなた様としては、被創造物と話したりできて、嬉しかった!のかもしれませんね。

せっかく、御自分の姿に似せて、そのために、遊ぶために、楽しむために、創られた!のですものね。

そこで、あなた様は楽しまれた!のですね。

アブラハムを相手に楽しまれたし、ヨハネを相手に楽しまれたし、ヨナやノアを相手に楽しまれた!のですね。

そして、
あなた様は小さな実力である小さな奇跡を行われた!わけです。

あなた様は、どうしても使われてしまう!のです。

御自分の実力である奇跡の技を!

それを通して、被創造物である人間に、
あなた様は奇跡を行われる者である事を、それとなく自然にお示しになられた!のですよね。

“神は奇跡を行われるお方様である”という常識が、人間に出来上がった!わけです。

それで、現代でも神に祈る!時は、奇跡を期待する!わけです。

「どうぞ、病が治りますように!」

「どうぞ、受験に受かりますように!」

「どうぞ、死なせないで下さい!」と。

神様!神様!と呼べば、奇跡が起きて願い語は全てかなう!と、信じている!のです。

神様!それ程までに、あなた様は奇跡を行われるお方様である!と、信じられています。

頼るはただ、神様だけ!

信仰心の無い人でも、「神様!助けて下さい!」と、必ず心の中で呼ぶのです。

信仰心の無い人でも、心の中で神を呼ぶのです。

「神様だけだ!奇跡を起こす力のあるお方様は!」と、信じている!のです。

人間のDNAの中に、きっと入力されている!のでしょうね。

人間の常識は、神とは奇跡を起こされる方!となっている事は、事実です。

それなのに、このしもべは前奏曲である
『神は、地から植物や動物を起こされた!』という部分に、
どうして起こされたのかしら?と、問題提起したのはどうしてでしょう!

それは、「進化ではない!」と、言いたかった!わけです。

信じていた!のです。神の創造である!と。

でも、現代、人々は進化だ!と信じている人が大勢います。

それで、このしもべは「そうではないのだ!」「神様の創造なのよ!」と、言いたい!わけです。

その理由を1つでも良いから捜し出そう!と、思っている!のです。

浜の砂を1つ1つ数えている!わけです。

でも、良かったわ。
確かに神様!あなた様は奇跡によって、地から生物をお創りになられた!のだわ!と、理解できて!

これも、被創造物であるこのしもべに与えて下さった、
あなた様の実力である小さな小さな奇跡によった!のかもしれませんね。

神様!このしもべは、地上で「ホサナ!」と賛美申し上げます。

あなた様が、あなた様の大いなる実力である大いなる奇跡によって、
地から植物を生ださせ、地から動物を生ださせられた!事を
「ホサナ!」「ナンテスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」と賛美申し上げます。

このお祈り、主イエス・キリスト様の御名を通して、御前におささげ致します。アーメン