1998年2月5日
イエス、キリストの父上であられるヤーウェーの神様!
あなた様を讃美申し上げます。
全て、神様の御心のままに成りますように!

神様!今、上空です。
あの、ストロマトライトのO2のおかげでできた、地球の屋根(オゾン層)の
下を飛んでいます。
まっ白な雲の上にいます。
そう、雲の上を飛んでいます。
くわしくは、飛行機の席に座って、窓越しに雲を見ています。
それなのに、あたかも自分に羽が付いたように飛んでいます!
なんて申し上げてしまいました。
夢ではたびたび飛んでいるので、
このしもべは空を飛ぶのになれているわけです。
そして、
ストロマトライトがOを創った!と書くのに似ています。
くわしくは、
シアノバクテリアがOを排き出しているだけです。
を創ったのは、
シアノバクテリアのメカを創られたお方様!なのです。
このしもべも現実に飛行機が無いと、空中に座っておれないのです。
もシアノバクテリアのメカが無いと、できないわけです。

今、クラシックを聞いています。
ヨハン・シュトラウス二世の曲です。春の川です。
この曲も、ヨハン・シュトラウスが居なければでき上がりませんでした。
他にたくさん作曲家がおりますが、同じ曲はできません。
ヨハン・シュトラウス二世が居て初めてできたのです。
ヨハン・シュトラウス二世が作って初めてできたのです。
完成された作品には、作曲した人間が居ます。
完成された作品には、作曲家の考えがあります。
いくら、ドレミファソラシドの音が有っても曲は自然にはできません。
水は下に落ちる時、ポトッポトッと音を発するだけです。
滝はドーッと音を発するだけです。
浪は、ザザザーと音を発するだけです。
決して春の川の曲はできません。
自然は、ヨハン・シュトラウスのように作曲できません。
自然とは、そんなものです。

それなのに、35億年前、
4つの塩基だって、そんなにたくさん無かったでしょう。
少なくとも、ドレミファソラシドの音を作るより
4つの塩基ができる方がむずかしいでしょう。
自然は、ドレミファソラシドで曲も作れませんでした。
それなのに、
4つの塩基で、細胞を作った!というのでしょうか。
自然が作った曲はとっても単調な音でした。
それなのに、
4つの塩基で、クロロフィールaを創った!というのでしょうか。

上空から山を見ます。
山々の型は、全て異なります。
自然が作るものは、そんなものです。
同じ型の山さえ、作れない!のです。

山にはメカが有りません。
山は自然に自分自身にメカは作れない!のです。
まして、
同じ型の山さえ作れない自然が
同じ型を創ろう!と考えた!でしょうか。
山は言うでしょう。
「どうして同じ型のものが必要なのよ!」と
そんな山がどうして永遠に同じ型のものにしよう。
同じ型のものを創ろう!と、考えるでしょうか。
山は同じ型はいやなのでしょう!
でも、もしかしたら、
山は同じ型のものを作れない!のではないでしょうか。

このしもべも自作自演の歌を作ります。
でも、同じ歌は作れない!のです。
譜面に書かないからです。書けないからです。

神様!同じ型のものを創るって、本当にむずかしい!ですよね。
それなのに、
自然はあえて、同じ型のものを創ろう!と、
研究した!というのでしょうか。
自然には、同じ型のものが必要だった!のでしょうか!
それも、
永久に同じ型のものを創ろう!としたのでしょうか。
永久に同じ型のものでなければいけないのだ!
と、
強く強く思った!のでしょうか?
水は同じ型のものが必要である!と思った!のでしょうか。
もし、水が同じ型のものを創りたい!と、せつに望むのであれば、
水は自分の住む湖を同じ型に創り変えたでしょう!
水は自分の流れる川の型を同じ型に創り変えたでしょう。
浸食等をして、川の型を創り変えたでしょう!
水も山も雲も、自然は1つとして同じ型に成ろう!
とは、しませんでした。
自然は同じ型を創ろう!とは考えてもみなかった!
のです。
その
自然がどうして同じ型に成るDNAを創るでしょうか。
それも、永遠に同じ型に成るものを創ろう!
と考えた!でしょうか。
答えはNO!です。
自然は考えませんでした!
同じ型というのも、きっとイヤだった!のかもしれません。
同じ型が存在する事だって、気付かなかった!かもしれません。
35億年前の自然は、同じ型のものを創ろう!
とは考えなかった!のです。
そして、
永遠に生きられる同じ型のものを創ろう!とは
決して考えなかった!のです。

「永遠という事など知らなかった!」という歌が
流行しましたが、
35億年前の自然は、永遠という事など知らなかった
かもしれませんね。

永遠に不変という事も知らなかった!かも
しれませんね。
だって、
46億年前の地球ができた時から、(46−35=11)11億年の間、
地球はずーと変化してきたし、
火の地球から、水の地球に成ったのをだれよりも
良く体験した!のです。
まったく180度変わってしまった、自分の体験からして
永遠に不変のもの!が存在する!事は知るよしもなかった!
のではないでしょうか。
そのような自然がどうして
永遠に不変のものを創ろう!と思った!のでしょうか?
35億年前の自然は、
どうして永遠に不変な物ができる!と思った!
のでしょうか。

自然は、自ら〜しよう!と行動する事はありません。
山は黙してうごかず!といいます。
山は自ら意志を持って〜しよう!とはしません。
山は自分自身をうごかす事はできません。
それなのに、
山はどうして
うごくものができる!
自らの意志によってうごくものができる!
と、考える事ができた!のでしょうか。
35億年前の山は考えた!とでもいうのでしょうか。
そして、
現代の山は考えない!というのでしょうか。

35億年前の海の水は考えたのでしょうか。
自分の浪は、うごているから
うごくものを創ろう!と考えた!のでしょうか。
自らの意思によって、うごくものを創ろう!と考えた!
のでしょうか。
35億年前の海は、自ら意志をもってうごくものを創ろう!
と考えた!のでしょうか。
たとえ考えた!としても、
それを創造するだけの知恵が有った!のでしょうか。
もし、
それを創造するだけの知恵が有った!としたら、
まず、
自分自身を変えた!でしょう!
自分自身に脳を創った!かもしれません。
だれだって、
変えよう!とする時、まず自分自身を変えますものね。
でも、
海は変えませんでした。
自分自身を変えませんでした!

海のどこに知恵が有るのでしょうか。
海の塩に知恵が有るのでしょうか。
海の水に知恵が有るのでしょうか。

海が海に住む生物を創造した!
とするなら、
空の鳥は空が創造した!というのでしょうか。

神様!でも学者さん達は、海がそれも35億年の海が
単細胞生物を創った!というのです。
あのシアノバクテリアを創った!というのです。
神様!このしもべは、海には知恵は無い!と思います。
だって、脳が無いからです。
今、海に行ってきます。
どうぞ、この点についてこのしもべに教えて下さいませ!
悟らせて下さいませ。
理解させて下さいませ!アーメン。

神様!今雪が降っています。
白く舞いおりてきます。
まるで、意志が有るように舞いおりてきます。
でも、この舞いに意思は有りません。
雪は
今、飛行機で通ってきた、あの白い雲が分散して降りて来たものです。
上空の雲はまっ白、雪のかたまり!です。

浪もうごいていますが
浪の流れにも意思は有りません。
浪は自分はあそこに行きたい!から、そっちの方向へ
流れる!ではありません。

雪も浪も、雲や海も水の一部です。
そして、同じHOですものね。

Oには、知恵が有りません。
実験で水は創れます。
実験で創った水も雪も浪も同じ意思の無いもの
知恵のないものです。
水は水。
現代の水も、35億年前の水も同じ水です。
35億年前の海も現代の海も同じ海です。
ですから、
このしもべは、今海へ行ってきます。
どうぞ、海から悟りが得られますように!アーメン。

『海には知恵が無かった。
知恵を創ったのはわたしである。
わたしが、脳を創ったのである!

わたしは、初めの動物に脳を創らなかった!のは、
わたしが脳を創ったのを知らせるためである。
理解させる!ためである!
初めの動物には、脳を与えなかったのは、
そのためである。

わたしが脳を創った事を知らしめるためである。
わたしが知恵を創った事を知らしめるためである。

雪が海に落ちて海水となるように、
海水は水の集まりである。

雪に脳がないように、
雪に知恵がないように、
海水にも知恵はないのである!
どこまでも続く、水の集合体は、
あくまで、水の集合体である。

人が海を見て「海には知恵が有る。」と悟るとするなら、
それは、
わたしが創った脳の有る生物がそこに生きて
存在している!からである。
知恵が有る!と感ずるのは
海に脳の有るわたしが創った生物が居る!
からである。』

神様!あなた様がそのように語っておられる!ようでした。

神様!あなた様が単細胞生物に脳をお付けに
ならなかった事を「ホサナ!」と讃美申し上げます。
「ナントスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」
と、お礼申し上げます。

それは、
単細胞生物は、自分自身を創った!のではない!
事を証明しています。
もし、
単細胞生物は、自分自身を創った!としたならば、
単細胞生物は、自分の叡知で創った!ことになります。
そして、
その叡知を自分の中に、必ずのこしておいている!
はずです。
だって、
叡知こそが、自分自身をも創れた!わけで
一番大切なものは、自分自身を創った叡知である!
という事を一番良く知っている!はずですから。
そうゆうわけで、
一番大切なものは、保管しておくのがあたりまえだ!
と、思うのです。
人間だったら、一番大切なものは、保管しておきます。
絶対無くしないようにします。
これが、常識です。
もし、
単細胞生物が自分自身を創った!のであれば、
自分自身の中に、自分の最も大切なものを必ず
存在させておいている!はずです。
それは、
単細胞生物を創った知恵です。
自分の知恵です。

それなのに、
単細胞生物には、知恵を生みだす脳が無い!
のですものね!

神様!このしもべは、わざわざ海を見に行って良かった!
です。
その時、
あなた様がこのしもべに教えてくれた!のですね。
このしもべは、スラスラ書きました。
まるで、
あなた様が語ってくださったように書きました!
それは、
とっても、説得力の有るものです!
なるほど、そうですね。!!!と。
!マークをたくさんたくさん付けてしまいます。

神様!アリガトウゴザイマス!
神様!あなた様は、このしもべと、いつもいっしょにおられる!
ような気がします。
だって、きちんと教えてくれた!!!のですものね!
もし、35億年前の海に知恵が有った!としたなら、
そして、生物は進化し、高度になってゆく!としたなら、
海は今頃、大きな大きな知恵のかたまり!
みたい!になっていた!でしょうね。
なにせ、
35億年間の蓄積が有るのですものね。
35億年間の進化が有るのですものね。
でも、
海は水の集合体であり、決して知恵の集合体ではありません。
海の知恵は進化もしなかったし、高度にもなりませんでした。

海には初めから、知恵が無かった!のです。
35億年前の海は現代の海と同じように、
初めから知恵はなかった!のです。

神様!海を見ました時、緑の海藻がコケのように岩に付いていました。
それを見た、しもべは、そこに知恵の一片を感じました。
それは、岩に付いた緑の海藻からやって来るイメージです。
海藻に知恵を感じるのは、
創られた海藻に知恵を感じる!のです。

被創造物にでさえ知恵を感じるのは、
それほど、
被創造物は、知恵有るものによって創られた!
という事です。
ヨハン、シュトラウス2世の曲を聞いて、スバラシイ!と思います。
曲に知恵を感じます。
よくこんな美しい曲が作れたものね!
と感じるのと同じです。