2001年4月9日(月)
イエス、キリストの父上であられる、ヤーウェーの神様!
おはようございます。
ハウステンボスを見ながら、ラブレターをしたためます。

神様!空と海が共存する所、外海町にある
遠藤周作記念館を見てきました。
「沈黙」という作品について、展示されています。
それは、豊臣秀吉が発した、キリシタン弾圧のため、
「踏絵」を信者に対して、強制させた!のです。
キリスト様の御顔が書かれている銅版を
踏ませて、
その人が、信者であるかどうかを検査しよう!というのです。
画を踏んだ人は、キリスト信者でない。
踏まない人は、信者である。
それは、神の御顔を踏めないから!

神様!このしもべなら、きっと踏んだでしょう!
そんなに強い信仰心は、持っていない!からです。
でも、踏まなかった人!が居る!のです。

なんてすばらしい人!でしょう!
命まで信仰のため捨てた!のです。
信仰の証のため、命を捨てた!のです。
正に奇跡の人!です。
日本にも、奇跡の人!は居た!のです。
このしもべは、Wさんの車の中でこう書きました。
(空と海が同和する所。
そこに花!を見つけました。
花の心!を見つけました。
かくも美しき心があるのか!と。
「踏絵」を踏んだ人の心!です。
天使の心!です。
心が天から舞い落ちて来た!のです。
天使が天から舞い降りて来た!のです。
天使の心が人に与えられた時、
そこに現われたのが、踏絵を踏めない!行為です!
命より大切!だった!のですね。
そのキリストの像が!
天使様がその人の中で吐息し、
その人と一緒にねむり、一緒に行動していた!のでしょうね。
もし、そうでない!としたら、
その人一人で行った!としたら、
それは、奇跡!です。
この世の奇跡!です。
奇跡の存在!です。
その心は、奇跡の存在!です。
その人は、奇跡の人!です。
でも、奇跡の人!も、
神様!あなた様がお創りになられた人!なのです。
心も、脳もお創りになられた!のです。)と。

神様!なんてすばらしい人!なのかしら。
「踏絵」を踏まなかった人は!
それも、キリスト教がまだ知れ渡っていない時、
だれもが神である!と信じていない時、
その人は、神だ!と理解した!のです。
そして、神の偉大さ!を知った!のです。
肝の中まで、しみ通った!のです。
脳だけで、知った!のではなく、
全身全霊で知った!のです。
そして、思った!のです。
全身全霊で思った!のです。
神様の御顔は踏めない!と。
踏みさえすれば生きられる!のに、
それができなかった!のです。
なんと、すばらしい心!でしょう!
神!をなんとすばらしく、理解していた事でしょう!
最高の信仰!です。
踏絵に画かれているすりへったキリストの像!と、
踏絵を踏まなかった人を、
ここ、ハウステンボスの上空に高くかかげます。
日本のほまれ!として、高くかかげます。
世界の人々に「知って下さい!日本人にも、こんなすばらしい人が居た!のです。
神を信じる故に、キリストの像が画かれている銅版を踏めなかった人!です。
処刑されるのを知りながら!
いまだ、キリストが知られなかった時、
キリストのお話しを聞くだけで、神を信じた!のです。
神の御子である!と信じた!のです。
その神の御子の顔は踏めない!
たとえ、処刑されても踏めない!と、思った人が居る!のです。」

なんてすてきな心!でしょ。
まるで、チューリップ!のようでしょ。パンジー!のようでしょ。
つつじ!のようでしょ。
花!のようでしょ。
天使様!のようでしょ。
そうです!その人達の心は、天使様の心!です。
神をいつも「ホサナ!」「ナンテスバラシイ神デショウ!」と
讃美している天使様の心!です。

天使様が、その人達に移った!のかしら。
奇跡!の行為を行わせたのは、
天使様が、行わせた!のかしら。
きっと、そうではなく、
人間の心!を創られた時、
神は、そのように!人間の心!をお創りになられた!のでしょうね。

『この実だけは、食べるなよ。
他の実は、どれでも取って食べるがよい!
しかし、この実だけは、食べるなよ!』と言い聞かせたら、
人間は、忠実に神の御言葉を守るように、
神に忠実な心を、人間の脳にインプット!されておかれた!のです。
そして、
神!を知る部分!も、人間の脳にインプット!されておられた!のです。
だから、
踏まなかった!のです。
この絵の御方様は、神だ!と、脳が教えた!のです。
そして、
「神に忠実であれ。それが最も大切な事だ!」と入力されている
脳の部分がピカピカ!した!のです。
脳中をかけめぐった!のです。
だから、全身全霊がそれに応答した!のです。
「よし、踏むまい!命もこのお方様のためだったら、おしくない!」と応答した!のです。

神様!「踏絵」を踏まなかった人!は、純粋!だった!のですね。
脳が純粋!だった!のですね。
よごれていなかった!のですね。
あなた様によって、創られたまま!であった!のですね。

「踏絵」を踏まなかった人の脳は、よごれていなかった!のです。
世俗の考えによごされていなかった!のです。

「神に忠実な行動を取る部分」と、
「神を知る部分」がきちんと作動した!のです。

本来なら、人間には、だれにもこの部分が与えられている!のに、
作動しない!ようにしている!のは、人間!です。
人間の世俗的な考え!です。
オブラートで包み込んでしまっている!のです。
そして、作動させないようにしている!のです。

作動しない方が便利だ!と、考えている!のです。
でも、脳に入力された部分は、自己主張する事がある!のです。
その時、人は、信じる!のです。
神は、いらっしゃる!と。
奇しくも、踏まなかった人には、作動した!のです。
神が入力されておられた「神に忠実な行動を行う事!」と、「神を知る部分!」が!
脳中をかけめぐった!のです。
それは、
神が、人間の行う最も重要な事!と位置づけて、おられた!からです!

神様!そのため!なのですね。
そのため!
あなた様は、聖書に
『第一に行うべき事は、神を想う事である』
と、おっしゃられる!のですね。

キリストに第一に行うべき事は、何ですか!と質問された時、
キリストは、『第一に行うべき事は、神を想う事である』とおっしゃられました!

創造主は、そのような事ができる!ように脳をお創りになっておられた!からです。

「神を想う部分!」を脳に入力されておられた!からです。

はからずも、
踏絵を踏まなかった人は、その部分が作動していた!のです。
神とは、いったい、どのようなお方様なのか!と常に想っていた!のでしょう!
奇跡の人!は、神を想う人!の現われ!であった!のですね。
奇跡の人は、神が脳に入力しておかれた部分が、
ピカピカと作動した人!であった!のですね。

日常茶飯事の雑事にまどわされず、
そこの部分が、いつもピカピカしていた!人であった!のですね。

神様!「踏絵」は、はからずも、
神様が、どのような人間をお創りになられた!かという事を教えてくれました!

神様!このしもべは、この事を、「なんとすばらしい事でしょう!」
と讃美申し上げます。

奇跡の人は、神がお創りになられた、
神の御心!を行う人間!であった!のです!
イエスは、言われた。
『心を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい!』
これが、最も重要な第一の掟である。

イエスの御名によって、アーメン!