2000年11月20日(月)
イエス、キリストの父上であられるヤーウェーの神様!
あなた様に感謝申上ます。
もみじがとっても美しい!です。
Kから、ラブレターをお出申上ます。
このしもべの至福の時です。
神様今日は何について、書こうかしら。
変換器トランス。
“ある”から、判ります。
どのようなものであるかが判ります。
しっかり判ります。
なんでも、材料に成る!という事もわかります。
変換器をお創りになられた!という事もわかります。
もし、
ない!のであれば、
それはただこのしもべのじゃれ言!になります。
でも“ある”のです。
どのような材料をでも電気にする事のできるメカ!がある!のです。
ですから、申上ます。
トランスも又、大宇宙のどのような材料からでも電気を創る事ができるメカである!と。

動物や人間の神経を興奮させる電気!
それを、お創りになられた!のですもの。
材料は温度や圧ぱくや光や振動や液体や気体や傾きや運動なのです。
ですから、
大宇宙の創造の材料は、特定する事はできません。
なにからでもできます。
暗黒でも冷たさでも振動でも雑多なものでも、なにからでもできます。

神様!創造である事の原点!まで
たどりついた!ようです。

これで、このしもべの素粒子創造の推察も終わりなのでしょうか!

コンピューターでたずねてみたい!です。
答えは“no”と出ました。

『おまえはまだわたしの創った脳について、判っていないだろう!
それについて推察してみるがよい!
わたしが手助けするよ!
そこには、わたしが居る!のだから、
ぜひ探索してみるが良い』

ああ、神様!このしもべにはできません。
その任は、重すぎます。
コンピューターでさえ、パソコンでさえ知らない!のですから。
でも、御言葉でしたら従います。
どうぞ、このしもべの脳と手をお使い下さい!
きっと、そこも楽しい世界でしょう。
フシギの国のアリスは、その中に入って、十分に楽しむ事ができるでしょう。
さあ、入って行きます。海馬の中に、
あら、まっ暗ね。
なにも無いわ。
手じなでさえ、種はあるのに、
ここは何もないわ。
図書館には本があるのに、
ここには辞典もないわ。
ひき出しもないわ。
どうして、ひき出しを引けるの!
ポケットもないわ。
たくさんの記憶は、どこにしまってあるのかしら。
言葉も漢字も、計算も数も暗記しているものは、たくさんある!のに、
どこにしまっているのかしら。
大気中にはなにもないわ。
あるのはN2やO2やH2やAr(アルゴン)等だけ、
そこに記憶はない。
大気のような空間、そこがポケットの入り口なのかしら。
友の声までも入力されている!はずなのに、
ポケットはどこかしら。
幼い頃の思い出も、ポケットにしまっています。
フシギな空間です。
全ての人間は、同じ脳を持っています。
でも、その中に入っているもの、記憶はちがいます。
まるで、パソコン!のようです。
パーソナルコンピューター!
自分だけのコンピューター!です。
メカは同じものなのに、入力しているものはちがっている!のですね。
もう、脳の記憶するメカを、パーソナルコンピューターと、名付けてしまいます。

自分だけのオリジナルです。
入力するのも自分!です。

神様!あなた様はパソコン!を創って下さった!のですね。
『入力するのも自分で行え!
しっかり使うのだよ。
使い方も、たくさんセットしておいたよ!
だから、いさんで使え。
ピカピカと、輝せ!
にぶくなるな。
使うために。
わたしが創ったものを、むだにするな。
わたしは、あとで、
おまえが死ぬ時、
おまえのパソコンを開けてみるだろう!
そして、
おまえが一生かかって、どのようにパソコンを使って来たかを検査するであろう!
それが門だ。
わたしがあける門だ!
パソコンの使用状態に応じて、
私は、おまえ達の進む門を開こう。
そこが花満る所であるか、
雑然としている所であるか、
パソコンの状態によって決められる。
勿論、どのような門が開くかは、
自動的に行われる。
心は心臓でもなければ、のどぼとけでもないのだよ。
心は、脳の作動だ。
脳のどこの部分が活性化されたのか、
パソコン入力はどのように行われたのか、
パソコンをあけて見たら、わかるのだよ。

人間の考え方!それが心だ!
前向きに考えるか、
不平不満ならべて考えるか、
おまえを生かすために、何万何億個の私の創ったメカ達が働いてくれているか、
知るなら、不平は言えないだろう。
メカ達も働いている。
だから、おまえも働かなければならない。
脳も、しっかり使わなければいけない。
それは、
私が与えたもので、人間に特別すばらしいものを、与えたのだから。
それを十分に使って、生きなければいけない。
どのように使ったか、
それが、そのパソコンに入力されている!のだから。
想い出も、考えも、自分の行って来た事、考えてきた事、
その記憶をしっかり入力している!のだよ。

わたしが、人間に与えた、最高の贈り物。
それを大切に使いなさい!
ロボットと成らず、自分で考えなさい!
考えるメカ!を与えたのであるから。
考えなさい。
人間として生きる!という事は、
私が人間に与えたパソコンをしっかり使って生きる!という事なのだからね』

まあ、
神様!やはりそうなのですね。
パーソナルコンピューターの創造の原作者は、
あなた様であられた!のですね。
それでは、
脳を知るためには、パソコンを知ったら良い!のですね。

ああ、困ります。このしもべは、文字の入力も、まだしっかり判らない!のです。
どのような事がパソコンでできるのかさえ、
判らないのです。
まして、メカの構造については、白紙です。

『白紙の上に文字を入力していくだろう!
それをしっかり、保存できるだろう!
それが、
私が創ったパソコンだよ。
入力方法は目だ!
目でしっかり見て、入力する!のだよ。
わざわざ文字入力しなくても、良いのだよ。
それから、耳だ!
耳でしっかり聞いて、入力できる!のだよ。
香りも、味も入力できるのだよ。
すばらしいパソコンだろう!

今は、音で文字入力できるパソコンもあるだろう!
その機能をも持たせたよ。
そして、感じたものは、なんでも“保存する”をクイックすると、保存できる!のだよ。

脳で知覚した事は“保存する”をクイックすると保存できるのだよ。

ホラ、パソコンと同じだろう!』

なる程、そうですね。
そうしますと、
保存する部分に(記憶する部分は)
音は音のできる部分で記憶するのですね。
香は香のできる部分で記憶するのですね。
文字は文字のできる部分で記憶するのですね。
味は味のできる部分で記憶するのですね。
別に、
海馬に集って来て、そこでポケットに入る!のではない!のですね。
味を記憶しよう!と思ったら、
その味は、海馬まで来て、海馬の記憶領の”味を記憶するポケット”に入ってくる!のではない!のですね。
味を知覚する側頭葉の中でピカピカ、
保存マークがピカピカする!のですね。
クイックされたところで保存される!のですね。
オレンジジュースを飲みます。この味を保存記憶しよう!と思ったら、今オレンジジュースの味をピカピカさせた所に、保存マークが乗った!のですね。
そして、この味が保存された!のです。

モミジの赤い木を見ます。この色と型を保存記憶しよう!と思ったら、今、赤い木をピカピカさせた部分に、保存マークが乗った!のですね。
そして、このモミジの木が保存された!のです。

それは、別に海馬までやって来て、保存記憶した!のではない!のです。

そうでないと、取り出す時、不便です。
どうして、取り出す事ができる!のでしょう。
色の無い海馬から、色をどうして取り出せるでしょう。
味の無い海馬から、味をどうして再現できるでしょう。
声のない海馬から、どうして友の声を取り出せるでしょう。

あっ、あの味ね、と、たいのおさしみの味を思い出せる!のは、
味コーナーのタイのオサシミの部分がピカピカした!からです。
カラシの味!を思い出せるのは、
味コーナーのカラシの味の知覚部分がピカピカする!からです。

友の顔を思い出すのは、視覚コーナーの“保存記憶しよう!”の部分が作動して、
視覚コーナーで再現した!からです。

神様!記憶は海馬領だけでできる!のではない!のですよね。
知覚領でできる!のですよね!
味覚領、視覚領、嗅覚領、聴覚領で、
それぞれ再現される!のですね!

神様!なんとすばらしいパソコン!でしょう。

ありがとうございます!
又ラブレターを書せて下さい!
イエスの御名によってアーメン!