2000年4月20日A
イエス・キリストの父上であられるヤーウェーの神様!
あなた様を讃美申上げます。

神様!なんと理解されていない!事でしょう。
あなた様は理解されていません。
万物創造の神!と思っています。
天地創造の神!と思っています。
でも、
理解されていない!のです。
あなた様は愛である!と思っています。
でも、
理解されていない!のです。
このしもべも理解していていません。
どれ程の神であるのか!
どれ程の叡知ある神であるのか。
どれ程の愛であるのか!
理解していません。

愛とは何か!
努力!かもしれません。
一生懸命働く事かもしれません。
一生懸命研究する事かもしれません。
イエス様は、
『父は今でも働いておられる!』とおっしゃられ
ました。
愛するもののために働いておられる!のですね。
そして、
愛するものを創るために、働いておられた!のですね。
一生懸命、心を尽し、叡知をそそぎ!
働いておられた!のですね。
それが神の愛!ですね。
神の愛で、でき上った作品が、全ての生物、
そして、元素や原子や素粒子たち!です。

神の愛の結晶!というわけです。
全てのものは、全ての生物は、
それらが、どれ程の御努力で、どれ程の御研究で
どれ程の叡知で、できたのか!
それを推し測る事はできません。
それを理解できません。
やはり、被創造物!です。
でも、ネコもネコなりに理解します。
人間も人間なりに理解します。

でき上った作品を通して理解します。
神経の事も、脳の事も、視覚や聴覚や
味覚の事も、運動の事も、
です。
人間は人間なりにより理解していない!
という事です。
ネコがネコなりにより理解できない!ように。

素粒子の事も、DNAの事も、生物のメカ達の事も、
作品として、でき上った物!より、
理解できない!という事です。
そして、
もしかしたらその理解も、とっても浅い!
のです。

神様!あなた様は、なんと理解されていない事
でしょう!
神よ!アリガトウゴザイマス!と、何度も何度も何度も
申し上げても、申し上げ過ぎる事はありません。

でも、きっと、
あなた様は、
『もっと、理解してくれよ!
アリガトウ!と言う前に、
何がアリガタイのか!
何に対して、アリガタイのか、
わたしの創造を理解してくれよ!
わたしを、知るように努力してくれよ!
愛する!という事は、
その人の事を理解しよう!と努力する事でも
あるのだよ!
わたしは、そのために、
おまえに、すぐれた脳を与えたのだよ!』
と、おっしゃられるでしょうね。

昨日、キュリー夫人の映画をテレビで見ました。
あなた様が創られたラジュラム!を発見されたのです。
2万トンの岩石から、たった1gのラジュラムを
抽出するために、
なんと、努力された事でしょう!

発見!する事でさえ、あのような努力は必要!
なのですね。
それでは、創造するため!には、どれ程の努力
が必要なのでしょう!
たとえば、
生物の元素!のような、
アデニン、グアニン、シトシン、チミン、デオキシリホースーリン酸。
最もむずかしい化学構造のものを、
生物の元素!として、創造した
あなた様の叡知は、いかなるもの!でしょう!
光子や電子やクオークやニュートリノや、その他の
素粒子を創造された、
あなた様のお考えは、いかなるもの!でしょう!
そして、それを創られた時の御努力は、いかなるもので
あった!でしょう!
理解!という言葉は、その前では、
なんと小さなものでしょう!

ラジュウムの理解!なら、すぐできる!でしょう!
でも、
それを発見した者の努力は、並大抵のもので
はありませんでした!

あるものを発見する!事ですら、そのような努力は必要
です。
あるものを解明する!事ですら、そのような努力は必要です。
人間の叡知の努力は必要です。

でも、その叡知が理解した事は、
あなた様の叡知の無限大分の1!です。
あなた様の創造の叡知の無限大分の二!です。
どうして、0に等しいものなのに、
無限大分の1と2にこだわった!のかは
創造のために使われた叡知は
あなた様の叡知の、ほんの一部分でよりない!
という事を申し上げたかった!のです。

神様!大宇宙を統治されておられる神様!
あなた様を理解するためには、
なんと大きな努力が必要なのでしょう。
そして、たとえ発見し、解明した!としても
その理解は、
あなた様を知るための、ほんの砂粒位!のものでよりない!
という事です。

あなた様を理解する事でさえできない!という事です。

理解できた!と思っても、
それは
神様!あなた様をほんのちょっぴり
まるで大宇宙にある、元素の1個だけ!
知ったようなもの!です。
でも、
それを知ることは、大いなる楽しみ!です。
         大いなる喜び!です。
たった気づく事!だけ!でも
大いなる楽しみ!です。

無限大の叡知の衣の裾にふれるだけ!でも、大いなる楽しみ!です!
それは、
永遠につながる、あなた様の一点!にふれた!という喜び!
なのです。
永遠につながる時空の一点!にふれた!
という感覚です!

ゆるして下さい!そんな、ちょっぴり!だけより理解でき
なくて!
神様!あなた様を知る事は本当にむずかしい事です。
あなた様は、あなた様の無限大分の1より理解されて
いません!
でも、ゆるして下さい!
これよりできない!のですから!
でも
あなた様は、きっと『それで良いよ!』と、やさしく静かな
御声でおっしゃって下さる事でしょう!

そんなあなた様を、讃美申上げます!
神は愛なり!と、讃美申上げます。
やさしさも、御限大である!と讃美申上げます!

こんな無知なしもべを、いつも許して下さっている!
のですもの!

『おまえはおまえなりに、
 わたしの事を思ってくれている!
 それで良いのだ!』と、きっと許して下さって
おられます。
だって、聖書に、

『心を尽し、思いを尽し、あなたの神を思
 うべし!』と述べておられる!のですもの!

神様!あなた様が、心を尽し、思いを尽して、
人間や全ての生物や素粒子達をお創りに
なられた!から、
それを『心を尽し、思いを尽して人間も思いなさい!』と
おっしゃられた!のですね。
人間なりに思いなさいと、ね。

神様!今小雨です。
雨は、天から、一直線に落てきます。
重さがあるからです。
光は、天から、波状に落てきます。
重さがない!からでしょうか!
それとも、重さには無関係!なのでしょうか!
ビッグバン!のような力が太陽にはある!からでしょうか!
小さな小さな光には、ビッグバンのような力に成る!
のでしょうね。太陽のエネルギーは!
光子はエネルギーの分け前!までもらって、
太陽を出発する!のでしょうね。
自分自身は、νhであり、
もらったエネルギーは、プラスνというわけでしょうか!
そのエネルギーがだんだん少なくなる!のでしょうね。
走り続けて、つかれる!のでしょうね。
そして、地上にやって来る時には、波長ものびている!
のですね。
つかれきっている!のですね。
でも、
そのつかれきったエネルギーを丁度良いエネルギーで
ある!と
あなた様は見きわめた!のですね。
そして、そうゆう場所に、地球をおすえになられた!
のですね。
そして、目をお創りになられた!のですね。
お創りになられたものを見せる!ために、
木を見せるために!
『緑の葉を、何種類も創ったよ。
 各々別々に創ったよ。
 反射光もちがえて創ったよ!』と
その反射光のちがいを、よく理解させるために!
緑を感じる範囲を多くされた!のですね。
緑を感じさせる波長の範囲を広く取られたのですね
あなた様の意図がよくわかります。

神様!波
上からやって来る波、光子!そして、光!
物からやって来る波、反射光。
振動体からやってくる波。

波はこのしもべを取り囲んでいます。
上からも、下からも、横からも、ななめ上からも、
波は、どこにでもやって来ます。
波は、どこにもあります。

波のなんと多い事でしょう!
三次元空間にあふれています。

目をとじます。耳をふさぎます。
波はそこにもあります。
でも、波は感じる事はできません。
このしもべにとりまして、
目をとじ、耳をふさぐと、
波はない!のです。
そして、
目をあけ、耳をあけます。
波は入って来ます。
次々入って来ます。
目にぶつかります。νhのエネルギーでぶつかります。
ただ、ぶつかるだけ!です。
光は、はたして目玉の中に入る!のでしょうか。
ただぶつかるだけ!なのでしょうか!

たぶんもしかしたら、
ただぶつかるだけ!なのかもしれません。
それなのに、
目の中に入った!と思う!のかもしれません。
νhのエネルギーは、それだけ大きい!のかもしれ
ません。

波、光の波と、音と成る振動!を比べてみます。

光の波の方が強い!のではないかしら。
νh、なのですから、
振動数に、hをかける!のですものね。

音の振動数は鼓膜をノックします。
ノックして、中に入る!のですよね、振動は!
伝わって行く!のですね。振動は入ってゆく!のですね。

光は、目玉に入って行く!のでしょうか!
νhのエネルギーは入って行く!のでしょうか!
νhのエネルギーは入って行く!のでしょうね。
そうでなければ、光のエネルギーを、オプシンやロドプシンは、
キャッチできませんものね。
νhをキャッチする!のですね。

神様!又、わからなくなりました。
νhは本当に、目の玉の中に入る!のでしょうか!
それは、ガラス!のように、光を通す!のでしょうか!
水晶体!はガラス!のようなのですね。
だから、
光を通す!のですね。
ガラス体といわれる液体も光を通す!のですね。
だから、
ハッキリ見える!のですね。
エネルギーが大きい!から、刺激が大きい!から
ハッキリ見える!のですね。

神様!今、音楽を聞いています。
振動が、脳の中で、音と成っています。
外にあるのは振動だけ。

今、緑の木を見ています。
反射光が脳の中で色と成っています。
外にあるのは振動だけ!です。

脳が音を作り、色を作ります。
外にある!のは振動だけ!です。

上から、光の振動が落てきます。
横から、反射光の振動と、(音と成る)振動がやって来ます。

光の振動が耳に入っても、耳はそれを受けません。
耳は言います。
「光の振動さんはダメ!私はできません。
 光の振動を伝える事はできません!」と。

音になる振動が目にやって来ても、目はそれを受け
ません。
でも、ガラスが、音と成る振動も受けているように、
もしかしたら、受けている!のかもしれません。
目の玉に入って来ている!のかもしれませんね。
どうなのでしょう!
目は、音と成る振動も中に入れている!のでしょうか!
耳は、光の振動も中に入れている!のでしょうか!

振動である事!には変りはない!のですから、
受けている!のかもしれませんね。
波も型にしたらちがう!のかもしれませんね。
波も大きさがちがう!のかもしれませんね。
音と成る波は、ぎざぎざの波、大きな波、1秒間に約1000サイクルの波。
光の波は、小さな、細かな波、1秒間に6×1013サイクルの波(500nmの波の場合)
だから、
目には、音と成る波は入って来ない!
入る事ができない!
目には、小さなこまやかな波より入れない!のです。
だから、
たとえ、いくら、大きな波が当っても入れないように、
神様!あなた様はお創りになられた!のです。

鼓膜に当って、感じる波は、大きな波!
だから、いくら、光の小さなこまやかな波が鼓膜に当って
も、鼓膜は、ブルブルと振動しない!のです。

神様!あなた様は波!を良く見きわめておられる!
のですね。
光の波が、どんな波であり、音と成る波が、
どのような波であるのか、

その性質を、きちんと、御存知であられる!のですね。
そして、
それに合ったメカ!をお創りになられた!
のですね。
『いくら波!でも、波には振動のちがいがある!
 よ。
 力!に於も、ちがいがあるし、
 型!に於も、ちがいがあるし、
 エネルギーに於も、ちがいがあるのだよ。
 大きさに於も、ちがいがある!のだよ。
 力の強い波!を耳で受け
 高エネルギーの波で小さな波を、目で受けるようにしたのだよ。
 きちんと、波の事も、研究して、創ったのだよ!』と、
おっしゃられている!ようです。

神様!創られた!ものです。
このしもべは創られたものです!
光の波も、音と成る波も、わかりません。
その区別も、できません。
とらえる事も、できません。
目があり、耳があっても、
これは光の波!これは音と成る波!と、空中より取り出す事も
できません。
見分ける事もできません。
見えない!のですから、ある事もわかりません。

どの動物でもそうでしょう。
耳のあるどの動物も、
「これは音と成る波です」と言えない!でしょう!
目のある、どのような動物も、
「これは目に入れる波です」と言えない!でしょう!
そして、
耳と目のある動物は、
「この波は耳に入る波、
 この波は目に入る波です」と、言えない!でしょう。
区別はつけられない!でしょう!

区別もつけられない者!がどうして、目というものを、
発明、発見、創造できる!でしょう。
この事が証拠です。創られたものである証拠!です。
神様!このしもべは、目に見えない波!を証拠品
として上ます。
創造である事の証拠品としてあげます。

それにしても、
すごーい!です。
波!を利用して、二大発明メカ!を
お創りになられる!のですから、
すごーい!です。

波!に音楽を感じ、
波!に色を感じられた!のは、
神様!あなた様!です。
ファンタジーの世界!です。

あなた様は、ただの振動!に音楽を感じられた!
のですね!
ただの振動に、
音楽を感じられた!のですね。
それで、
秩序正しく並ぶ脳の音盤をお創りに
なる事が、できた!のですね。

『これで、音楽ができる!』と、おっしゃられた!
のですね。
聞く前に、まるで聴いている!もののようにお創りになら
れた!のですね。
すばらしい!です。

音楽!の事をお考えになられましたのは、昆虫をお創
りになられた時!ですか!
リーリーと鳴くセミや、ツクツクと鳴くセミや
ギーギーと鳴くセミをお創りになられました時!は、
振動で音を創ろう!と、お考えになっておられました!

すず虫やコオロギやくつわ虫の音をお創りになられました
時には音を創ろう!と、お考えになっておられました!

音!は、
あなた様には“あった”のですね。
それで、
昆虫の振動!を聴いて、お創りになっておられた!
のですね。
演奏者は、昆虫達!です。
藤城清治さんの影画に昆虫達のコンサート!
が画かれていました!
そうです!
神様!あなた様は、コンサート!を開いた!のですね。
音楽をお創りになられた!のですね。
彼らを一緒に演奏させた!のですね。
秋!草むらの中で!と、
時空も、一緒にされた!のですね!
なる程わかります。
演奏会!は別々に演奏するより、
オーケストラのほうが良い!と、お考えになられた!
のですね。
音の競演!をさせた!のですね。
すばらしい!です。

波!も、
あなた様には、音!に成りました!
あなた様には耳があった!からです。
やはり、
人間の型!をしていらっしゃる!のですね。
あなた様は!
音の始まり!は、
神様!あなた様に耳があった!からです。
感受できた!から、与える事ができた!のです。

すばらしい!です。
聖書に書れている事が本当である。
真実である事が!
すばらしい!です。

うそではなかった!のです。
もう、
2億年前には、耳!という“存在”はあった!
のです。昆虫達の耳です!
昆虫自分で作った音を聞いているのです。
それで会話しているのです。

“耳を持っている主”が、音を創った!
のです。
耳の中に入って、脳に入って、初めて音と成る
振動!をお創りになられた!のです。
神様!昆虫達の音!が、それを証明します。
神は振動を創られ音をつくられた。
それを聞く耳も創られた
創られた主には、音を感じるメカがあった!と。

なんとすばらしい事でしょう!
コオロギやクツワムシやすず虫の高らかな音!
この世のものとも思われないすずやかな音!
まるで天使の歌声のような高い音!
暗い所のない明るい音!すんでいる音!
それらの者は、
与えられたもの!です。
創られたもの!です。
いつも、そんな音を聴いている主が創られた音!
です。。

やみの世界、無の世界、音のない世界。
そんな世界に居て、初めて創った音の
なんと、すみきっている事でしょう。
なんと気高く響く音でしょう!
まるで、静寂の中に居たら、天まで届く音!なの
かもしれません!

天使の音楽を、この地上にも、運んで来られた!
のですね。再現された!のですね!
あの音!昆虫の振動!は創られたものです。

音のすばらしさを知っておられる主により、
創られたもの!です。
とびっきり、すばらしい音を創って与えた!
のですね。
DNAで!
初めて、創られた音のなんと完璧にすばらしい音!
でしょう!
それは、音楽会!を開く!という目的!のために
お創りになられた!ものです。
カエルの鳴声とはちがいます。
カエルの鳴声は、お話するため。
でも、
昆虫のキリギリスやコオロギやスズムシや
ツクツクムシ達のなき声は音楽のため!です。

地上に始めて、
あなた様がお創りになられた!コンサートです。

勿論彼らは振動を自分で考えて創った!
のではありません。
波を見て「これで創ろう!」と考えた!
のでもありません。
同じ曲より演奏しない!のは、オルゴールのようです。
創られたもの!です。
与えられたもの!です。
作曲できない!のですもの。
もし、
波を創って、音と成らせる!事を考えて、
創ったのであれば!
自由に作曲できる!ように自分を創った!
でしょう!
なにせ、バイオリンも創った!のですから。
    タンバリンも創った!のですから。
後は、自分で自由に弦を引き、
タンバリンをふるわせたら良い!だけ!
なのですもの!
それさえできない!のですから、
彼らが、彼らの楽器を創った!のではありません。

耳のある者、脳で音とする事のできる主!が
おられて、創られた!のです。
音!を創られた!のです。
御自分のため!
御自分が聴くため!
御自分の耳を通して、脳に行かせ、音!として聴くため!
です。
よく理解できます。

神様!あなた様に、約2億年前に、聴覚があった事が!
そして、
考えを延長すれば、
考えは5億年前の魚にも及びます。
魚の側線器にも及びます。
そして、
考えは、魚の目にも及びます。

光波を、受ける事のできるお方様!
目のあるお方様!によって、
魚の目は創られたのだ!と、理解できます。

そして、なる程!
魚を創られた主!には
目も、あったのだ!と、考えは到着する!
のです。
聖書に
『我々の型に、我々の型に似せて人を創ろう!』
と、おっしゃられた主が、

魚に目を与えられた。
昆虫に音を与えられた!と理解できます。

神様!もうこのしもべは、疑いません。
目のある主が目を創り、
耳のある主が、耳を創られた!と。
そして、
すばらしい事は、
それを創る事ができた!という事です。

このしもべには目も耳も脳もあります。
でも、創れません。
与えられません。
いくら、与えてあげたい!と思っても、
与えられません。
でも、
それが、おできになった!のです。
それは、
御自分のもの!だけでなく、
それを、
他にも創ってあげた!のです。
その事はなんと偉大な事でしょう。
なんと、すばらしい事でしょう。
なんという技術を、持っていた事でしょう。
なんという叡知を持っていた事でしょう。
何という創造の叡知、技術!をお持であった事でしょう。