2000116日(日)

イエス・キリストの父であられるヤーウューの神様!

あなた様を「ホサナ!」「ナントスバラシイコトデショウ!」「アリガトウゴザイマス!」と賛美申し上げます。

全て、神様の御心のままに成りますように。

神様!あなた様は注視!のために外側膝状体を創られた!のですね。

視覚領(スクリーン)に映った映像が、はっきり伝わるように。

そして、海馬の近くに映る!ように回路を組まれた!のですね。

それは、視覚領が後頭部にあり、遠いから記憶する海馬により近づけられた!のですね。

そして、重点的に見えるものの映像が海馬に近づくように設計!された!のですね。

注視!を可能にした!のは、外側膝状態!なのですね。

注意して、しっかり見たい!時は、目をその部分にしっかり、その部分に当てます。

読むときもそうです。

注視できる目!も創られた!のですね。

とっても曲がりくねった回路!を組まれた!のですね。

“天使の翼で”(=視放線)

すばらしい!です。

回路をしっかり組まれた!

その回路は、外側膝状態でセットされ、天使の翼に伝わって行く!のですね。

なんとすばらしい事でしょう!

なぜ、急にこのような事を書いたかと申しますと、大脳機能の局在を示す模式図で、ブロードマンの大脳皮質構造区分の図を見ますと、18.注視という部分があった!からです。

17.視覚の上にあった!から。

この部分は、もしかしたらあの溝のスクリーンではないかしら!と思った!のです。

それで、このように思った!わけです。

神様!外側膝状態は、回路を組み立てる部分!ですね。

そこから、天使の翼各線に入って行く!のですね。

そして、視覚領である鳥距溝のスクリーン像が現れる!のですね。

天使の翼の最もカーブの強い所!

これは創られたカーブ!です。

とっても激しいカーブ!です。

自動車で運転する!のでさえきついカーブ!です。

そこをとってもとっても速い電気が通る!のですから、回線もしっかりしていなくてはいけません。

なんと、この急カーブの回線は上部!に位置している!のです。

ブロードマンの18.注視と19.記憶に一致!しています!

神様!やはりきちんと設計された!のですね。

注視も記憶できる事も、その部位を上にセット!された!のですね。

その上の部位が海馬に近い!のかもしれませんね。

より、前頭葉に近い!のですよね。

そうしますと、合理的です。

前頭葉で考えたり、判断したりする意志、創造、感情の部分がある!のですから、高次な事を行うメカが“ある”のですから。

やはり、視覚はビルディング!です。

高い所に視覚認知し、注視するように組み立てられておられた!のですね。

外側膝状体でカーブを強く曲げて、回路を組まれて、それを上にセットし、よく注視できるメカ!とし、よく記憶できるメカ!とし、よく注視して見ることができ、それを記憶できるメカ!として創られた!のですね。

ただのカメラの映像を作る!だけではないのですね。

それを記憶する!のですから。

視覚認知の所には記憶できるメカ!もセット!されておられる!のですよね。

注視できるメカ、はっきり写るメカ!

そして、その見たものを記憶できるメカ!

それらを視覚ビルディングの上!におかれた!のですね。

それも、きちんと理由があった!のですね。

注視した映像が材料となる!のですね。

考えたり、感動したり、意志を生んだり、何かを発明、発見したりする材料!となる!のですね。

視覚ビルディングの上!が合理的!ですね。

天使の翼=視放線!も、実に合理的に創られている!という事ですね。

頂上に材料を飛ばすアンテナ!がある!という事ですね。

すばらしい!です。

神様!視覚ビルディングは、はたして何階建て!なのかしら。

必要としたら何千階建てのビルディング!かもしれませんね。

見れば見るほどすばらしい脳!です。

神様!放線冠!もすばらしい!ですね。

価値!としては、王冠!です。

その働きもわからないのに、そのように申し上げてしまいます。

この放線冠が材料を飛ばす!のですね。

協力体制を作る!のですね。

大いなる放線冠!と叫んでしまいます。

まるで、太陽から光がこの公園に放射されている!ように、各知覚領から光のように知覚されたものが!飛び交う線!のようです。

各知覚領から放射されている!のですね。

そして、脳の放線冠を伝わって協力しあったり、不干渉になったりしている!のですね。

神様!このしもべは放線冠を情報の伝わる線!(空間)と申し上げます。

誤っていたらゴメンナサイ。

神様!このしもべはいつも発想!から、始まる!のです。

それで、いつも誤っていたらゴメンナサイ!なのです。

でも、これがずばり当たる!のです。

大脳弓状線維もすばらしい!です。

頭蓋骨の穴も合目的にあけられ、DNAで創られ、脳の筋も合目的に流されておられる!のですね。

筋の作る回路なのですね。

みるだけでメカだ!という事がわかります。

良く設計されています!ね。

その内容は、まだハッキリわかりません、

どうぞ教えて下さい!

今度は鼻の嗅覚を勉強しましょうか!

それとも視覚!を勉強しましょうか!

知覚を勉強していると、だんだんその良く設計されている部分が見えてくる!でしょう!

もっと賛美できる!でしょう。

脳が良く設計されている事が少しずつ判ってくる!でしょう!

神様!あなたの設計されました脳が良く設計されています事がよく判りますように、どうぞ導いて下さいませ!

このしもべは、あなた様のさしのべて下さいました長〜いサオにしっかりつかまっております!アーメン

 

神様!今Uです。

人々がたくさん居ます。皆さんすばらしい!です。

その中にたくさん誇れるものを持っています。

数え切れない程たくさんすばらしいものを持っています。

今、ホテルの食堂です。

この建物もすばらしいです。

ですけれど、人間ほどではありません。

道路沿いに咲いていたパンジーほどではありません。

考えたら創られたもの!です。

でも、考えても創れないもの!それがパンジーです。

紫、赤、朱色、青、橙、黄、様々なパンジーが咲いていました。

とっても美しく、このしもべはお店は見ず、パンジーに釘付けになりました。

色は様々違います。

でも葉は同じ!です。

すばらしい!です。

色を創られた!ただそれだけでもすばらしいのに、色を塗られたその型は、どれもがすばらしい!です。

叡知みなぎる型!です。

花はそうです。叡知みなぎる型!です。

どうして、こんなすばらしい型が“ある”のかしら!と、いつもため息をついてしまいます。

そして葉にも!

最高の型ばかり!です。

サザンカの花!と葉!

ランの花!と葉!

涙が出るくらいすばらしい!です。

最高の作品だ!と思います。

これ以上のものは考えられない!と思います。

その型や色を創れる技術が人間をお創りになられた!のですね。

顔や体や手や足を!

まるで、花のようにかぐわしく思えてきました。

花ように美しく思えてきました!人間のからだが!

最高の型!です。

非とする所が1つもありません。

すばらしい作品!です。

花も人間も、そしてその中にあるたくさんの生きているメカ達は、最上級のもの!です。

型もメカ達も最上級のもの!です。

自由なる生きたロボット!です。

最上級の型をした働きをしている自由なロボット!です。

何万種類ものメカをのせて、歩いている自由なロボット!です。

何京個もの数えられない数のメカをのせて歩いている自由なロボット!です。

神様!あなた様は最上級の人間というロボットに自由!までお与えになって下さった!のですね。

歩く自由、食べる自由、考えてしゃべる自由、聴く自由、見る自由、全て自由!を与えて下さった!のですね。

なんとすばらしい事でしょう。ありがとうございます。

この事が愛!なのですね。

大いなる愛!なのですね。

地に咲くパンジーに与えられなかった愛!です。

すばらしい!です。

気付く!と、メカ!は愛!です。

歩くメカ、自由に考えるメカ、見えるメカ、聴くメカ、嗅ぐメカ、味わうメカ、しゃべるメカ、これは愛の証!です。

メカは愛の証!です。

あなた様が愛してくれている愛の証!です。

あなた様は愛してくれている愛の証拠品!です。

すばらしい視覚も聴覚も、味覚も嗅覚も、覚える事も判断する事も考える事も感動もすべては愛!です。

もうメカ!まで愛!と呼んでしまいます。

神の愛=視覚メカ、聴覚メカ、味覚メカ、嗅覚メカである!と呼んでしまいます。

そうしますと、神の愛で見て、神の愛で聴いて、神の愛で嗅いで、神の愛で味わっている!のですね。

すばらしい!です。

すばらしい世界!です。

気付くと、そこには愛があります。

神の愛!があります。

(もし、神の愛がなかったら、けっして見えなかったし、聴けなかったし、嗅げなかったし、味わえなかったし、考えられなかった!のですね)

神の愛の花束!

メカ達は神の愛の花束です。

気付くと、そこには愛があります。神の愛があります。

全ての生物の中に“与えられたものの中に”全てのメカの中に。

考えてみますと、神様!あなた様は何種類の愛!をお創りになられた!のですか!

各々の生物の中に、種類にしたら、数百種類、数千種類、数万種類、数にしたらその何百倍、その何千倍、その何万倍!その何億倍!もの数!です。

正しく数え切れない数の愛!がひしめき合っている!のですね。

このしもべもパンジーも愛、愛、愛、愛、愛だらけ!になってしまいます。

あなた様のくださった愛、愛、愛、愛、愛で埋め尽くされています。

ああ、愛をキス!にしたら、何京回ものキスをあなた様からあびせられている!

あなた様からあびせられて生きている!という事です。

それをバラの花!にしたら、いったい何京個のバラの花をいただいている!事でしょう!

100万本のバラの花なら、両視神経だけで足りてしまいます。

それの何千倍も何万倍も何兆倍もその何倍も、数え切れない程たくさんのバラの花!をいただいて生きている!のですね。

もし、世界中のバラの花を集めても、人のメカの数にはならないでしょう!世界中のバラの花を集めて、「これを君にあげる!」と言われたら、オドロク!でしょうね。

与えられています。

それ程たくさんのバラの花束を!

叡知のバラの花束をメカの花束にして、たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、与えています。

ATP合成メカやデヒトロゲンナーゼやデカルボキシラーゼや、たくさん、たくさん、数え切れない程の叡知のバラの花束!を与えてくださった!のですね。

なんと愛されている事でしょう!全ての生物は!

神の愛は、神の愛のキスは、神の愛のバラの花束は、“ある”のです。

あらせたものの中にある!のです。

なんてすばらしい事でしょう。

なんてすばらしい生物達!なのでしょう。

酵母の中に“ある”神の愛の花束達!

フラミンゴの中に“ある”神の愛の花束達!

ラクダの中に“ある”神の愛の花束達!

豚の中に“ある”神の愛の花束達!

牛の中に“ある”神の愛の花束達!

パンジーの中に“ある”神の愛の花束達!

たくさん、たくさん、“神の愛の花束”をいだいて、生きている生物達!

すばらしい世界!です。

愛されて生きている!世界!です。

生物は、独立して生きている!ようでも、それはけっして独立して生きている!のではありません。

愛されて生きている!のです。

生物の中に1つ1つ“ある”神の愛の花束!によって、生かされている!のです。

“ある”のは、生物の体!というより、神の愛の花束!です。

生きるメカ達!です。

まるで、大いなる叡知を持っている!かのようにふるまって、生きているメカ達!です。

神の愛の花束達!です。

パンジーが生きている!というより、神の愛の花束達である。生きているメカ達が生きている!のです。

人間が生きている!というより、神の愛の花束のような生きているメカ達が生きている!のです。

神の愛によって生かされているメカ達が生きている!のです。

数え切れない程たくさん集まって!

パンジーと成り、このしもべと成っています。

いわば、神の愛の集合体!のようです!

あのパンジーも、このしもべも、歩いていた人も。

そこには、神の愛が数え切れない程たくさんあります!

生きている生物全ては、神の愛の集合体!です。

だから、すばらしい!のですね。

酵母もフラミンゴも、ラクダも豚も、牛もパンジーも、人も、神の愛の集合体!なのですね!

その中にある1つ1つが、神の愛の花束であり、神の愛!である!のに、どうしてその全体である酵母やフラミンゴやラクダや豚や牛やパンジーや人が、神の愛!でない!と申せましょうか!

ああ、神様!どうしましょう!

生物自体を神の愛である!と申し上げてしまいました!

それは、定理に成ってしまいます。

神の愛=生体内メカ達!

神の愛=知覚、聴覚、嗅覚、味覚、感情、考える、記憶するメカ達!

それらのメカ達の集合体である生物は、神の愛である!という事です。

神様!生物は神の愛!です。

例外はありません。

全て、生物は神の愛!です。

ウイルスも細菌も、植物も動物も、全ては神の愛!です。

なんとすばらしい地球!でしょう。

神の愛である生きるものの満ちる世界!です。

生物の中で神の愛でない!というものはありません。

どこを捜してもありません。

ニュートリノさんに捜していただいてもニュートリノは「ありませんでした!」と申し上げるでしょう。

このしもべの手の上を何億といつでも通り抜けている大宇宙から来るニュートリノだったら、一点の隙間もなく捜せるはずです。

とっても精密に捜せる!はずです。

でも、その答えは、「この地球の生物の中で、神の愛でないものは、どこにもありませんでした」と、申し上げるでしょう!

神様!全ては神の愛!です。

生物全ては、神の愛!です。

神の愛である大いなる愛の結晶。

大いなる叡知の発明、発見されたもの!が満ちています。

生物全ての中に!

生物全てがそうです!

だから、生物は、全てすばらしい!のですね!

イエスの御名によってアーメン